若い若いと思っていた玉三郎ももう61歳とは驚きます。舞台では、とてもそんな風には見えません。
この玉三郎、いわゆる梨園の出ではなく、幼い頃にかかった小児麻痺の後遺症を直すために習い始めた日本舞踊が縁で、十四代目守田勘弥の部屋子になり、後養子になって、五代目坂東玉三郎を襲名したという経歴です。
昨日も紹介したように、芸風や活動方針を巡って六代目歌右衛門との間に永年の確執があった(後年和解)というのは、私に言わせれば、その美貌が嫉妬されたのでしょう。
まずは、下の舞台写真を見てください。一番左は富士娘、一番右は揚巻です。
単に歌舞伎の世界だけでなく、外の世界でも活躍しています。Wiki の記述をそのまま引用すると、
若くしてニューヨーク・メトロポリタン歌劇場に招聘され、アンジェイ・ワイダ、ダニエル・シュミット、ヨーヨー・マら世界の超一流の芸術家たちと多彩なコラボレーションを展開するなど、その影響と賞賛は世界的なものである。また、映画監督・演出家としても独自の映像美を創造した。その他にも、演劇全般に関する私塾「東京コンセルヴァトリー」の開校や熊本の八千代座保存への協力など、演劇以外にも活躍している。また歌舞伎だけでなく、10代半ばよりレッスンを受けけたバレエの実力も、プロ・バレリーナと一緒に踊りをこなしても何の遜色もないどころか、玉三郎自身が一バレリーナとしての評価にあずかるほどのものがある。近年は歌舞伎と縁の薄い邦楽の演出も手がけている。趣味はダイビング。
私の手元には、写真家・篠山紀信が37年にわたって撮り続けた、稀代の歌舞伎役者・坂東玉三郎のすべてを網羅する写真集、ではなくて、その documentary が放送されたのを録画したものがありますが、それはそれは、美しいです。篠山さんは、美しい人しか取りませんからね。
歌舞伎役者は、女形であっても、女性と結婚していますが、玉三郎は独身です。
舞台を見ていると、単に美貌というだけでなく、その身のこなし、立ち居振る舞い、どんな女性も適わないでしょう。
しかし、素顔と玉三郎が、例えば、2006年に太鼓演奏グループの鼓童と饗宴した時の「両者が交流を深めながら舞台を創り上げていく様子」を収録した documentary 「鼓童 meets 玉三郎・新たなる創造へ〜アマテラスに挑む」 などを見ると、実に男性的でもあります。
これほど稀有な女形は、これからも現われるか、心配です。明日紹介する尾上菊太郎に期待しているのですが。子供のない玉三郎は、教育熱心ですから、自分の跡を継ぐ女形の育成にも心を砕いていると思います。先日の何かの演目で、菊太郎を指導していました。
普通に考えれば、歌舞伎は、団十郎、仁左衛門、幸四郎、吉右衛門という男役が担っているでしょうが、優れた女形がいなければ、歌舞伎は成り立ちません。そして、それはお姫様役だけではないです。
昨日見た、義経千本桜 渡海屋、大物浦で、銀平の妻、実は安徳帝の乳母、典侍の局を、中村芝翫が演じていました。お姫様ではちょっとと思うのですが、ああいう女房役をやらせれば、凛とした気品といい、台詞回しといい、やはり、芝翫は、超一流です。
ああいる女形が舞台を絞めるのです。
というわけで、今日は私の好きな女形の本命、と私が言うのもおこがましいですが、五代目坂東玉三郎とこと、歌舞伎における女形の存在の大きさについて、気ままに、書きました。