このブログでは、このところ、「私の名詞」シリーズで、私の名詞に載せてある、様々な、風変わりな?肩書き?について、順次説明をしたきました。
今まで紹介した肩書きは、Batting center the oldest regular, Sports car driver, CM cut expert, DVD/BD label designer,
Alt sax player of enka, Armchair traveller, 英語養殖業で、映像資産家は、中断状態でした。
そして、現在 Armchair theater goer が進行中で、最初に opera を取り上げました。その opera の途中で、中断状態になって、大分日数が経っています。なぜ、中断したか、というと、あの調子で行くと、opera だけで、いつまでも、延々と続くような気がして、ちょっと一息いれて、次の performing arts に移ろうか、と迷い始めたまま、徒に日が経って行ったのです、そういうのが「徒然」なのでしょうか。
そこで、次の performing arts は、opera と theater を共有する ballet か、それとも、opera と共通点がある(これから書くように、実際はないですが)といわれている、歌舞伎にしようか、と迷っているところでした。
その迷いに決断をつけたのは、昨日「衛星劇場」(私は、ひかりTV)で見た、伝説の名舞台 series の先代(第11代)市川団十郎の『勧進帳』でした。義経は、市川歌右衛門、富樫は、先代尾上松緑(11代団十郎の実弟です)。4,5日前に見た、団十郎3人兄弟の2人目、松本白鵬の『仮名手本忠臣蔵』の赤星由良之助もよかったですね。
松竹には、かっての名優の舞台を収録した映像が沢山あって、それを「衛星劇場」で順次放送しています。それらを録画して持っていると、これは、正に映像資産ですね。
ご存知のように、東京の歌舞伎座は、現在改築中です。昨年度は、歌舞伎座最後の公演ということで、ほぼ半年に渉って、「さよなら歌舞伎座」と銘打って、定番ものだけでなく、滅多に上演されない演目も、東西の名優に、若手も加わって、近年まれにみる充実した舞台を展開しました。俳優たちも慣れ親しんだ、歌舞伎座の舞台に、これでお別れということで、熱演を繰り広げました。
何しろ東京でのことですから、見にはいけませんでした。NHK でいくつか放送したものを、録画しただけでした。そうしたら、今年の4月から、それらの公演を全て収録していた松竹が、「衛星劇場」で、月から金まで、週五日、連日原則4時から6時まで、「さよなら公演」を放送し始めました。それに混じって、今は亡き名優の舞台も放送しています。
「衛星劇場」は、プレミアム番組で視聴するには、余分に月2,000円かかりますが、DVD を買ったり、舞台を見に行くことを考えればやすいものです。それに歌舞伎のDVD/BD は、ほとんど出ていません。また、4月からの、BS2 が廃止されてから、NHK の舞台中継が、ぐんと減りました。毎週金曜日の Midnight Theater もなくなりました。
そんなわけで、さっそく「衛星劇場」視聴を申し込み(TV 画面上で、申し込むだけで、一分もかからず申し込み完了で、すぐ見れるようになります。また、解約も月単位ですが、簡単にできます。)
それは、さておき、私が、opera fan であることを知っている人は多いでしょうが、歌舞伎 fan でもあることを知っている人は、少ないでしょう。そこで、Armchair theater goer の巻きでは、opera は、いずれまた再開するとして、とりあえず、歌舞伎について暫く書いていきます。「暫」というと、そういう題の演目もありますね。
先ずは、そもそもなぜ、いつ頃から、私が歌舞伎 fan になったか、というところから、お話しましょう。
名古屋大学の大学院で博士課程に在学していた時のことです。折角同じ建物で、それぞれ専門は違うけど研究しているのだから、月に一回くらい集まって飲み会をやろうと、いうことになりました。私が音頭を取ったのですが、その頃から coordinator の素質があったようです。もっとも高校のクラス会も私がいつも幹事でしたが。
皆金はないので生協での飲み会でしたが、そこは研究者の卵、飲み食いだけではつまらないので、毎回誰かが話をしよう、ということになりました。ただし、専門の話は難しくなるので、自分お専門ではないけど、専門家はだしで知っていることについて話をする、ということになりました。
私は、オペラについての話をしたと思います。仏文科でフランスバロック演劇を専門とする F 君は、歌舞伎の話をしました。これが、実に専門家はだしで、詳しく興味ある話で、それが私に歌舞伎への興味を書き立てました。F君は、opera も詳しく、今日までずっと、その方面の付き合いが続いています。会えば、オペラか歌舞伎の話で、それぞれの専門の話はしたことはないです。もっとも、著書を出すとは贈ってくれるので、彼がどういう研究をしているかは、よく分かっています。どうでもいいことですが、ノーベル賞を貰った益川氏は、彼の高校の同級生で、教室では机が隣同士で仲良くしていたそうです。一昨年でしたか、益川さんの受賞を期に、久しぶりの同窓会を開くので、名古屋へ来るので(彼は神戸在住)、会おうということになり、オペラなどの話をした後で、会場まで送ってやったということがありました。
その彼が、その大学院の会の時に、歌舞伎を見るなら、やっぱり東京の歌舞伎座しかだめだ。三階席は、一幕見で、学生割引があるから、東京へ行ったらぜひ行ってこい、というけです。
そして、初めて見た歌舞伎が、おりしも東京オリンピック協賛の歌舞伎座公演、前年に11代目を襲名した人気絶頂の市川団十郎の「助六所縁江戸桜」でした。揚巻は、歌右衛門。これですっかり歌舞伎のとりこになったのです。
この続きは次回から。
0 件のコメント:
コメントを投稿