2011年7月2日土曜日

私の名詞 Armchair Traveller の巻 1

  Armchair Traveller というのは、日本語では、聞きなれないことばです。訳しようがないですね。
欧米語では、なじみ深いことばです。そのイメージは、季節は、何となく秋から冬の感じです。暖炉には赤々と薪が燃えています。その前で、armchair に掛けて、ottoman に足を乗せ、片手に wine glass か、それとも brandy glass をもって、やや大きめの本を開いて読んでいる、というところでししょう。これで、足元に大きな犬でも寝そべっていれば、ヨーロッパの上流階級の雰囲気ですね。

このイメージから、fireplace と dog を除けば、それが armchair traveller の私です。
ただし、私は、本を手にしていません。なのに armchair traveller と私があえて名乗るゆえんがあります。

Television は、tele- far + vision see で遠くのものを見るというのは、学校で習います。
しかし、その本当に意味するところは、案外誰も気がついていません。われわれが、日常身の回りで、見るものは、ありふれたものです。日常的に見るの顔も、普通の人です。
遠くのものを見るというのは、そういう自分の周りと同じような、遠くにあるものを見るということです。
スポーツの中継は、確かに「遠くのもの」ですが、日常的に見るものではありません。逆に、日常的な、町内運動会とか、子供の野球の試合などは、TV で放送しません。
TV 番組で、最も多い drama で見る登場人物が演じているのは、こしらえごとの、ウソの話で、実際に遠くで起こっていることではありません。
舞台中継も同じことです。
どうしてそうだったか、というと、TV 放送初期から、ごく最近まで、TV camera は重くて、持ち運びが大変でした。そして、映像を記録する media はvideo cassette しかなく、これが当初は、嵩張った、しかも高価なものでした。大河ドラマの始まったころは、NHK でも、同じビデオテープを、何度も使いまわしをしていました。だから、例えば、昭和42年度に放映された『龍馬がゆく』でも、確か一本しか、録画テープは残っていません。
だからその頃は、tele-vision と言っても、実際に遠くのものを見ることは出来なかったのです。このこと気がついていましたか?
そこで、ずーと、さーと、時代を下って現在、TV camera は片手で操作できるくらい小型軽量になり、記録 media も DVD から Blu-ray 更には SD card、時には直接衛星中継で本局まで飛ばすことも出来ます。だから、2,3人のスタッフで、海外どこでも行けるようになりました。撮影したのを、その日のうちに PC で編集して internet で本局に送れますから、録画 media を持ち歩く必要もありません。走って写しても、画面がぶれない装置も開発されてます。空中からの撮影も水中の撮影も、remote controller による、地底の撮影も、単に far だけでなく、high も deep の様子も、今やわれわれは、今に居ながらにして見ることができるのです。
そういう時代が来た時に、各 TV 局が競って手がけたのが、海外旅番組でした。
私の armchair traveller とは、そういう旅番組を、armchair に腰掛け、ottoman に足を乗せ、wine glass や champagne flute を片手に、うつらうつらして見ている姿です。

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