2011年8月20日土曜日

Armchair Theater Goer 歌舞伎の巻 好きな立女形2

今日は、私の好きな立女形の2人目、というにはもったいない、本来は第一に挙げるべきですが、年の順で、雀右衛門の後になりました。
若い若いと思っていた玉三郎ももう61歳とは驚きます。舞台では、とてもそんな風には見えません。
この玉三郎、いわゆる梨園の出ではなく、幼い頃にかかった小児麻痺の後遺症を直すために習い始めた日本舞踊が縁で、十四代目守田勘弥の部屋子になり、後養子になって、五代目坂東玉三郎を襲名したという経歴です。
昨日も紹介したように、芸風や活動方針を巡って六代目歌右衛門との間に永年の確執があった(後年和解)というのは、私に言わせれば、その美貌が嫉妬されたのでしょう。
まずは、下の舞台写真を見てください。一番左は富士娘、一番右は揚巻です。
 単に歌舞伎の世界だけでなく、外の世界でも活躍しています。Wiki の記述をそのまま引用すると、
若くしてニューヨーク・メトロポリタン歌劇場に招聘され、アンジェイ・ワイダ、ダニエル・シュミット、ヨーヨー・マら世界の超一流の芸術家たちと多彩なコラボレーションを展開するなど、その影響と賞賛は世界的なものである。また、映画監督・演出家としても独自の映像美を創造した。その他にも、演劇全般に関する私塾「東京コンセルヴァトリー」の開校や熊本の八千代座保存への協力など、演劇以外にも活躍している。また歌舞伎だけでなく、10代半ばよりレッスンを受けけたバレエの実力も、プロ・バレリーナと一緒に踊りをこなしても何の遜色もないどころか、玉三郎自身が一バレリーナとしての評価にあずかるほどのものがある。近年は歌舞伎と縁の薄い邦楽の演出も手がけている。趣味はダイビング。
私の手元には、写真家・篠山紀信が37年にわたって撮り続けた、稀代の歌舞伎役者・坂東玉三郎のすべてを網羅する写真集、ではなくて、その documentary が放送されたのを録画したものがありますが、それはそれは、美しいです。篠山さんは、美しい人しか取りませんからね。

歌舞伎役者は、女形であっても、女性と結婚していますが、玉三郎は独身です。
舞台を見ていると、単に美貌というだけでなく、その身のこなし、立ち居振る舞い、どんな女性も適わないでしょう。
しかし、素顔と玉三郎が、例えば、2006年に太鼓演奏グループの鼓童と饗宴した時の「両者が交流を深めながら舞台を創り上げていく様子」を収録した documentary 「鼓童 meets 玉三郎・新たなる創造へ〜アマテラスに挑む」  などを見ると、実に男性的でもあります。
これほど稀有な女形は、これからも現われるか、心配です。明日紹介する尾上菊太郎に期待しているのですが。子供のない玉三郎は、教育熱心ですから、自分の跡を継ぐ女形の育成にも心を砕いていると思います。先日の何かの演目で、菊太郎を指導していました。
普通に考えれば、歌舞伎は、団十郎、仁左衛門、幸四郎、吉右衛門という男役が担っているでしょうが、優れた女形がいなければ、歌舞伎は成り立ちません。そして、それはお姫様役だけではないです。
昨日見た、義経千本桜 渡海屋、大物浦で、銀平の妻、実は安徳帝の乳母、典侍の局を、中村芝翫が演じていました。お姫様ではちょっとと思うのですが、ああいう女房役をやらせれば、凛とした気品といい、台詞回しといい、やはり、芝翫は、超一流です。
ああいる女形が舞台を絞めるのです。
というわけで、今日は私の好きな女形の本命、と私が言うのもおこがましいですが、五代目坂東玉三郎とこと、歌舞伎における女形の存在の大きさについて、気ままに、書きました。

2011年8月19日金曜日

Armchair Theater Goer 歌舞伎の巻 好きな立女形1

  好きな役者の話を続けます。
男なら女が好きなのは当たり前ですが、歌舞伎では、女の役も男性が勤めていますので、ちょっと複雑ですね。
そんなわけでもないでしょうが、男と思っていると、別に美人でなくても、芸さえよければ、それでよし、としたのでしょうか、
女形の容姿のことは、表立っては、とやかく言われてきませんでした。来ませんでした、というのは、最近ちょっと風向きが変わってきたようです。
それについては、また、後ほど。 
歌舞伎の立女方としては、戦後は、六代目歌右衛門、七代目中村芝翫が全盛期で、歌舞伎の立女形を独占していました。これに六代目
澤村田之助が、加わっていました。
この時期は、丁度オペラ界で、Joan Sutherland, Montserrat Caballé, Renata Tebaldi、アメリカの黒人ソプラノ歌手 Leontyne Price, Jessie Norman, Martina Aroyo, Grace Bunbry などが、活躍していた時期と重なっています。これらの歌手は、LP/CD 時代にはよく登場していましたが、DVD 時代になったら映像の世界からは、姿が消えてしまいました。
そうしたら、あろうことか?Yahoo 知恵袋のサイトに、「アフリカ系の黒人オペラ歌手がいないのはどうしてでしょうか?」という質問がでていました。
多分質問した人は、DVD 時代にオペラファンになったひとでしょう。このあたりの事情興味ある方は、下記サイトを。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1135092181
なぜ、こんな話を持ち出したか、というと、上記三人の立女形の役者は、正直言って、歌舞伎の役の、可憐なお姫様や揚巻のような美女の傾城、男が魂を奪われるような、美形には程遠く、舞台で見ているときは、その芸や豪華絢爛たる衣装に見とれますが、テレビの映像でアップになると、まあ、機会があったら見てください。
そこで、私の好きな現在活躍中の立女形は、年の順に四代目中村雀右衛門(現在90歳です)、坂東玉三郎、そして、若手の尾上菊之助の3人です。これに、今の五代目中村時蔵を加えてもいいでしょう。なにしろ、わずか34歳で急死した先代の四代目中村時蔵は、生きていれば、玉三郎と人気を二分するはずの美貌の若手女形でしたから。その息子の五代目中村時蔵が、歌舞伎座閉場式の際、玉三郎と踊った「京鹿子娘道成寺」は、いずれ劣らずあでやかでした。
そこで話をもどして、中村雀右衛門です。私の年代の人は覚えていますか。戦後一時歌舞伎を離れて、大谷友右衛門の芸名のままで、映画界へ「佐々木小次郎」でデヴューしたことを。昭和25年です。私は、中学2年生だったと思います。映画館で見ました。格好よかったですよ。
しかし、昭和30年には映画界を引退。歌舞伎の世界に戻り、しかも、まったく姻戚関係のない中村雀右衛門を襲名したのです。この間の事情については、下記Wikiを参考してください。
復帰した頃の雀右衛門をテレビか舞台で見て、前記三人の女形と比べてあまりにも美しいので、一気にファンになりました。ところがですね、これは、今調べてもどこにも書いてないのですが、映画の世界では、大映や新東宝の専属となっていて、松竹とは商売仇でしたから、松竹歌舞伎の世界に戻っても長らく不遇の時代が続き、あまりよい役に恵まれなかったですね。私も悔しい思いをしていました。これは、私の邪推ですが、歌右衛門や芝翫が、嫉妬して意地悪をしたかも。ありえないことではないですよ。実は、歌右衛門と玉三郎も長いこと確執があったそうです。
しかし、そういう先輩たちが衰え始めると、雀右衛門も2001年には、日本俳優協会会長(〜08)になり、2004年には、文化勲章を貰い、90歳になった今でも元気に活躍しています。


昨日、衛星劇場で放送された「鎌倉三代記」では、姫役「三姫」のひとつ時姫をあでやかに演じていますが、1999年の舞台ですから、当時既に79才です。驚異的ですね。
今日は、私が最初にファンになった美形立女形四代目中村雀右衛門の話でした。
オペラも同じですが、好きな歌手や役者、特に女性歌手と立女役者ができると、オペラや歌舞伎が好きになります。
これは、男性ファンだけに当てはまることでしょうか。女性ファンなら、好きなテノールやバリトン、好きな立役者が決め手になるでしょうか。

2011年8月18日木曜日

Armchair Theater Goer 歌舞伎の巻 好きな役者



昨日から、歌舞伎の話をしています。
 オペラが好きになるには、作品よりも、好きな歌手が出来ることが決め手になるように、歌舞伎も演目より、好きな役者ができることが早道です。少なくとも素人には。
 私の場合は、東京の歌舞伎座で見た先代市川団十郎でした。今の団十郎は、なぜかあまり好きではないですが、この前先代団十郎の「勧進帳」を見て、その声がそっくりなのにビックリしました。顔つきはずいぶん違うという印象を持っていたのに、これもそっくりのように見えて来ました。
 親子そっくりといえば、先代片岡仁左衛門と今の仁左衛門は、あまり似てないと思っていました。素顔の現仁左衛門は、先代とあまり似てませんが、最近の舞台を見ていると、舞台上では、先代と風貌がそっくりに見えることがあって驚かされます。
 現仁左衛門は、先代仁左衛門の三人の息子のうちの一番下の3人目で、私の目からは、長男の片岡我童が、体つきから顔つきまで一番似ていると思ってました。ついでに言えば、次兄は片岡秀太郎で、女形です。
 昨年12月京都南座で、先代仁左衛門の17回忌に、先代を偲んで上演された「伊賀超道中双六 沼津」では、久しぶりにこの三兄弟の顔合わせが実現し話題になりました。その時の舞台写真をここにはめ込んだつもりが、何故か、一番上になってしまいました。
 私が現仁左衛門が好きになったのは、やはり東京の歌舞伎座で、先代団十郎の時と同じ「助六」を見た時からです。揚巻は、坂東玉三郎、当時まだ?若々しかったこの2人の組み合わせは、「孝玉コンビ」と呼ばれ、人気絶頂でした。その頃の「「孝玉コンビ」の『色彩間苅豆』 いろもようちょっとかりまめ. 通称 『かさね』が、先週衛星劇場で放送されました。この舞台写真も一番上になってしまいました。
 そこで、先ほど「助六」とだけ書いたのには、次のような事情があります。
 先に先代市川団十郎で「助六所縁江戸櫻」を見て、そのフアンになった、と書きました。この「助六所縁江戸櫻」は、「天保年間に七代目市川團十郎(当時五代目市川海老蔵)が市川宗家のお家芸として選定した十八番の歌舞伎演目」の中のもっとも人気のあるもので、他の家の役者が、この演目を演じる時は、遠慮?して別の名前を使う慣習になっています。
 そこで、松嶋屋の片岡孝夫(後の仁左衛門)が演じる時の外題は、「助六曲輪初花櫻」になります。
 また、高麗屋の松本幸四郎が演じる時は、「助六曲輪江戸櫻」となります。その他の家の時の外題は、Wiki で「助六」に出ています。
 歌舞伎十八番については、Wiki に項目があります。英語版もあります。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/歌舞伎十八番
 http://en.wikipedia.org/wiki/Kabuki_J%C5%ABhachiban
松本幸四郎も、私の大好きな役者ですが、「助六」を演じたのを見たことがありません。息子の市川染五郎が、助六をやったら、若々しくて格好いいだろうと、思っているのですが、若いうちにやってくれないかな。その時の揚巻は、今の尾上菊之助が似合いのカップルになるのでは。
 「鬼兵」で有名な二代目中村吉右衛門は、松本幸四郎の弟で、若い頃は、中村萬之助を名乗っていて、母の実家の初代中村吉右衛門の養子になって、二代目になったのですが、私は、何故かあまり好きではないです。
 まあ、しばらくこういう調子で、好きな役者、好きな演目について、気楽に書いていきます。
 思うんですがね。英語を勉強して、国際コミュニケィションとか、グローバルコミュニケィション、英語コミュニケィションなどと言っていますね。そういう名の大学の学部・学科があります。英語でコミュニケィションをするのは、日本人同士ではないでしょう。他国の人とコミュニケィションするわけです。その時、何を話すか、というより、相手はどういうことを聞きたがるか、といえば、日本のことです。相手が、教養ある人であるほど、日本の伝統文化に興味をもっています。歌舞伎について語れないと恥をかくかもしれませんよ。
 

2011年8月16日火曜日

Armchair Theater Goer 歌舞伎の巻

  このブログでは、このところ、「私の名詞」シリーズで、私の名詞に載せてある、様々な、風変わりな?肩書き?について、順次説明をしたきました。
今まで紹介した肩書きは、Batting center the oldest regular, Sports car driver, CM cut expert, DVD/BD label designer,
Alt sax player of enka, Armchair traveller, 英語養殖業で、映像資産家は、中断状態でした。
そして、現在 Armchair theater goer が進行中で、最初に opera を取り上げました。その opera の途中で、中断状態になって、大分日数が経っています。なぜ、中断したか、というと、あの調子で行くと、opera だけで、いつまでも、延々と続くような気がして、ちょっと一息いれて、次の performing arts に移ろうか、と迷い始めたまま、徒に日が経って行ったのです、そういうのが「徒然」なのでしょうか。
そこで、次の performing arts は、opera と theater を共有する ballet か、それとも、opera と共通点がある(これから書くように、実際はないですが)といわれている、歌舞伎にしようか、と迷っているところでした。
その迷いに決断をつけたのは、昨日「衛星劇場」(私は、ひかりTV)で見た、伝説の名舞台 series の先代(第11代)市川団十郎の『勧進帳』でした。義経は、市川歌右衛門、富樫は、先代尾上松緑(11代団十郎の実弟です)。4,5日前に見た、団十郎3人兄弟の2人目、松本白鵬の『仮名手本忠臣蔵』の赤星由良之助もよかったですね。
松竹には、かっての名優の舞台を収録した映像が沢山あって、それを「衛星劇場」で順次放送しています。それらを録画して持っていると、これは、正に映像資産ですね。
ご存知のように、東京の歌舞伎座は、現在改築中です。昨年度は、歌舞伎座最後の公演ということで、ほぼ半年に渉って、「さよなら歌舞伎座」と銘打って、定番ものだけでなく、滅多に上演されない演目も、東西の名優に、若手も加わって、近年まれにみる充実した舞台を展開しました。俳優たちも慣れ親しんだ、歌舞伎座の舞台に、これでお別れということで、熱演を繰り広げました。
何しろ東京でのことですから、見にはいけませんでした。NHK でいくつか放送したものを、録画しただけでした。そうしたら、今年の4月から、それらの公演を全て収録していた松竹が、「衛星劇場」で、月から金まで、週五日、連日原則4時から6時まで、「さよなら公演」を放送し始めました。それに混じって、今は亡き名優の舞台も放送しています。
「衛星劇場」は、プレミアム番組で視聴するには、余分に月2,000円かかりますが、DVD を買ったり、舞台を見に行くことを考えればやすいものです。それに歌舞伎のDVD/BD は、ほとんど出ていません。また、4月からの、BS2 が廃止されてから、NHK の舞台中継が、ぐんと減りました。毎週金曜日の Midnight Theater もなくなりました。
そんなわけで、さっそく「衛星劇場」視聴を申し込み(TV 画面上で、申し込むだけで、一分もかからず申し込み完了で、すぐ見れるようになります。また、解約も月単位ですが、簡単にできます。)
それは、さておき、私が、opera fan であることを知っている人は多いでしょうが、歌舞伎 fan でもあることを知っている人は、少ないでしょう。そこで、Armchair theater goer の巻きでは、opera は、いずれまた再開するとして、とりあえず、歌舞伎について暫く書いていきます。「暫」というと、そういう題の演目もありますね。
先ずは、そもそもなぜ、いつ頃から、私が歌舞伎 fan になったか、というところから、お話しましょう。
名古屋大学の大学院で博士課程に在学していた時のことです。折角同じ建物で、それぞれ専門は違うけど研究しているのだから、月に一回くらい集まって飲み会をやろうと、いうことになりました。私が音頭を取ったのですが、その頃から coordinator の素質があったようです。もっとも高校のクラス会も私がいつも幹事でしたが。
皆金はないので生協での飲み会でしたが、そこは研究者の卵、飲み食いだけではつまらないので、毎回誰かが話をしよう、ということになりました。ただし、専門の話は難しくなるので、自分お専門ではないけど、専門家はだしで知っていることについて話をする、ということになりました。
私は、オペラについての話をしたと思います。仏文科でフランスバロック演劇を専門とする F 君は、歌舞伎の話をしました。これが、実に専門家はだしで、詳しく興味ある話で、それが私に歌舞伎への興味を書き立てました。F君は、opera も詳しく、今日までずっと、その方面の付き合いが続いています。会えば、オペラか歌舞伎の話で、それぞれの専門の話はしたことはないです。もっとも、著書を出すとは贈ってくれるので、彼がどういう研究をしているかは、よく分かっています。どうでもいいことですが、ノーベル賞を貰った益川氏は、彼の高校の同級生で、教室では机が隣同士で仲良くしていたそうです。一昨年でしたか、益川さんの受賞を期に、久しぶりの同窓会を開くので、名古屋へ来るので(彼は神戸在住)、会おうということになり、オペラなどの話をした後で、会場まで送ってやったということがありました。
その彼が、その大学院の会の時に、歌舞伎を見るなら、やっぱり東京の歌舞伎座しかだめだ。三階席は、一幕見で、学生割引があるから、東京へ行ったらぜひ行ってこい、というけです。
そして、初めて見た歌舞伎が、おりしも東京オリンピック協賛の歌舞伎座公演、前年に11代目を襲名した人気絶頂の市川団十郎の「助六所縁江戸桜」でした。揚巻は、歌右衛門。これですっかり歌舞伎のとりこになったのです。
この続きは次回から。