2011年6月30日木曜日

私の名詞 sports car driver の巻 4

Euros Roadster で、やっと、真の sports car driver になる事が出来た、というのが、前回のお話でした。
くれぐれも念を押しますが、sports car driver というのは、sports car を運転する人のことであって、racing car driver とは違いますからね。sports car に乗っているからと言って、高速で走るわけではありません。
  Sports car は、そうでもないのもありますが、基本的には convertible です。日本語では、「オープンカー」と言いますが、英語で open car と言っても通じません。また、「オープンで走る」とか、「屋根をあけて走る」などといいますが、英語では、drive with top down です。
反対に「屋根を閉めて走る」は、drive with top down です。
   ビルの屋上は、roof top と言うように、屋根の平たいところは、top です。Laptop PC という言い方がありましたが、あれは、両膝の平たいところに乗せるので、そう呼ばれました。もっとも当時は重くて、lap crash PC と悪口を言われました。テーブルの上は、table top です。
そういうわけで、自動車の「屋根」は、roof top、略して top です。
冬場は、寒いので、top down で走るのには、夏場が適している、と思っている人がいますが、とんでもない話です。夏場半袖シャツで、top down で運転したいたら、日射病にかかるか、日焼けしてしまいます。紫外線にやられてしまいます。第一暑くてたまりません。高速道路を止まらずに走るならともかく、一般道路で、交差点で止められたら、干上がります。要するに air-conditioner を入れたい季節は、top down はむりです。
大方の予想に反して、太平洋岸でしたら、冬場でも、晴れた日なら、top down は、案外快適です。暖房を入れれば足元は暖かいですし。
頭は帽子をかぶっていれば、結構大丈夫です。やせ我慢に見えるかもしれませんね。
  Convertible で一番困るのは、長いトンネルがある場合です。日本の高速道路は、特に中央道や、東海北陸道は、トンネルが多いので、top down で走ったら、排気ガスで息が詰まります。アメリカの Mustang など、高級 sports car は、roof top の開け閉めが、自動で行えますから、トンネルの手前で up して、出たら down できますが、手動では、いちいちトンネルの手前で止めて操作するわけには行きません。
知らないところへ行く時は、事前にトンネルの有無を知らばておく必要があります。
映画や TV ドラマで、convertible に乗った主人公が、車を止めて、かっこよくドアーをしめて、そのまま車を離れるシーンがあります。日本の道路や駐車場でそんなことしていたら、車自体を盗まれれるか、車内をあらされる危険があります。だから、そういう場合は、いちいち close the top しなければなりません。そして、乗るときにまた、open the top。このこといちいち手動でするの、結構面倒ですよ。でも、折角の convertible を top up で走っていては、格好悪いのでしょう。
Two seater convertible ならではの、いいことがあります。それは、全体の表面積が少ないので、洗車が楽だ、ということです。更に車体が低いので、roof top を洗うのも楽です。その一方、洗うところが少ないのに service station で洗車してもらうと、普通の車と同じ料金を取られますから不公平です。ですから、洗車、wax は、自分でします。
Two seaters ですと、recline しても、平らにはなりませんから、車内で昼寝をすることは出来ませんね。
Sports car で、困ることがひとつあります。それは、lugguage space が小さいことです。車種によりますが、trunk room のないものもあります。よくあるのは、seats の後ろに compartment を設けてあるのですが、用途は golf の道具の持ち運びとなっています。
一泊旅行に二人連れで出かけようとすると、suit case を持っていくことが出来ません。ところが、ここに秘訣があるのです。どの車でも、seats は、脚の長さにおうじて、前後に slide 出来るようになっています。Two seaters の場合は、rear seats がないので、driver's seat も passenger seat も後ろに少し隙間があります。私のように脚が短いと、seat をかなり前に slide します。そうすると、seat の後の space に、丁度飛行機の機内持ち込み size の suitcase がタテに入るのです。その上に、多少の荷物を積むこともできます。Passenger seat の方も同じことができます。それには、連れも脚長の人はだめですね。
ということで、今日は、sports car に乗ってみて始めて分かることを、いろいろ紹介しました。
 次回は、Eunos Roadster 以後に乗った sports cars のことです。

2011年6月29日水曜日

私の名詞 sports car driver の巻 3

前回は、Carina hardtop MyRoad までの、My Driving Life でした。前回書き漏らしたことがあります。この Carina の頃は、卒業研究の学生が毎年 15人以上いて、半数以上が男子学生で、全員が車を持っていました。これらの学生たちと車を連ねて、東京の早稲田大学の学会に東名高速で出かけたり、鈴蘭高原で合宿したり、小川邦彦さんがいた山梨大学の学生とのソフトボールに試合に行ったり、年に数回も長距離ドライブをしていました。今考えると、よく一度も事故を起こさなかったものと、感心しています。今決まり文句で、「車を連ねて」と書きましたが、事故を起こさないコツはですね、車を連ねないことです。目的地の途中に、距離によりますが、休憩場所を設定し、後は、勝手に my pace でばらばらに行かせることでした。私が、いつも、先頭で、さっさと行ってしまいますが、学生たちは、私を追いかけることは諦めて、ゆっくり運転していたので、事故を起こさなかったのでしょう。
この Carina に飽きた頃、TOYOTA から、国産初の市販 sports car として、engine 中置の midship car、two seaters の MR/2 が発売されました。ただ、convetible ではなかったです。乗り心地、というか、運転感覚は、4 seaters とは、まったく違ってましたし、地面に張り付くような感じが、なんとも気持ちよかったですね。後部座席がないというのは、初めての経験でしたが、慣れると逆に後部座席のあるのが、不自然に感じますね。
MR/2 では、一回東名高速で、unmarked partrol car に speed violation でつかまったことがあります。
MR/2 、五年くらい乗ったころ、日産から Silvia の新型が発表されました。先代 Silvia は、カチッとして、sports car type の来るまで、前から一度乗ってみたいと思っていました。しかし、新型は、大きくなって、優雅な style でしたが、sports car のイメージからは、遠ざかっていました。ただ、その CM が、私の大好きだった「青い影」 A White Shade of Pale をバックにあまりに素敵だったので、ついふらふらと買い換えてしまいました。買ってから、MR/2 との、あまりの運転感覚の違いに、戸惑いましたね。まあ、そのうちに慣れるかと我慢してました。
Silvia に一年ちょっと乗ったころの夏、国際交流の仕事で、University of Alaska, Fairbanks へ行くことがありました。1989年の夏休み期間中でした。
UAF の国際交流委員長だった、Bill Parrett の家に滞在していましたが、彼の友人の名前は忘れましたが、Fairbanks 市の教育長をしている人が、ある時、素敵な sports car で乗り付けてきました。Two seaters の converible です。それまで、日本になかったような車です。
これどういう車って、訊いたら、日本車だというのです。Mazda の車で、Miyata (ya のところに悪戦をつけて言います)というのです。後から分かったのですが、Miyata というのは、当時のアメリカマツダの社長の苗字でした。マツダは、外国モデルには、車名に社長の名前をつけますね。普通のマツダ車は、だから、Mazda です。
何でも、アメリカマツダの若い designer によるということでした。彼の父親は GM の有名な car designer だったそうです。日本に先行してアメリカで、その年の五月に発売されてたのを、その教育長が早速買ったのでした。
惚れましたね。一目惚れでした。日本へ帰って早速行きつけの garage に頼んだら、日本の発売は、9月の予定だけど、予約が殺到して半年待ちということ。仕方ないので、とにかく予約をしたところ、3ヶ月も経たなかったと思いますが、AT なら、早く入るというので、sports car で AT とは、と思いましたが、AT 車は、California で乗っていて便利なことは知ってました。とにかく早く乗りたい一心でしたので、それで結構ですと、買う事にしました。
日本では、車名は、Eunos Roadster でした。カタカナでは「ロードスター」と書くので、いかにも道路のスターのように響くので、Roadstar あるいは、Road Star と間違える人が多くいます。
Roadster というのは、「無蓋の幌馬車」が語源で、road + ster です。Road (道)を行くものという意味です。若者のことを youngster というのと同じ意味です。固有名詞でなく、一般名詞です。
一方、ユーノス(Eunos)の語源ですが、Wiki によれば、
the ancient Greek "eu" meaning "good" and "nos", an abbreviation of "numbers" in English.
この場合、numbers は、選び出されたもの、というような意味で、そうなると、Eunos は、神から選ばれしもの、という意味でしょうか。持つ身としては、いいほうに解釈します。
それまで、two seaters convertible の sports car は、市場になく、他の car maker は、冷ややかに眺めていたようですが、発売と同時に爆発的に売れ、半年以上の ックオーダーをバックオーダーを抱えるほどの人気を博し抱えるほどの人気を博したそうです。そのあたりの事情は、Wiki に詳しく紹介されています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ロードスター
私は、まだ珍しい頃に買ったので、特に地方では珍しく、どこへ行っても一目を惹きました。
私の名詞で、sports car driver と名乗ってはいますが、sports car とは、convertible two seaters が基本なので、私が sports car driver になったのは、Eunos Roadster に乗り始めてから、ということになります。
この後の sports car や、sports car 一般については、後一回、次回に書きます。

2011年6月27日月曜日

私の名詞 sports car driver の巻 2

今回は、私がどのような sports car あるいは、sports car type の車に乗ってきたか、私の driving life の話です。
皆さんには、どうでもいいことでしょうが、私の自分の記録のために、記録しておきたい、と思います。
私が運転免許を取ったのは、昭和41年(1966年)の9月です。その頃、日産サニーとトヨタかローラが発売され、日本のモータライゼィションが始まった時代です。
そこで、私が買ったのは、Sunny 1000 でした。これは sedan でした。この Sunny で、浜名湖一周、紀伊半島一周、四国一周、山陰一周と、いくつかの一周ドライブをしたものです。私が家庭教師教えた大学生と運転を交代しながらのドライブでした。
次に乗ったのが、今度は TOYOTA の 真っ白な Sprinter Coupe.  確か Sprinter には、Collora と同じ sedan type もあったと覚えていますが、こちらは、sports car type で、日本自動車史上もっとも glamorous な車と言われました。高速道路の drive-in などに止めていると、人が寄ってきましたね。
これに一年半ばかり乗った頃、文部省(当時)在外研究員として UCSD へ一年間行くことになり、Sprinter は、友人に譲りました。
アメリカでは、Ford の名車 Mustang に乗りたくて、新車は高くて手が出ないので、used car dealer をいくつか見て、一台手ごろなのも見つけて test drive しましたが、ちょっとぼろくさかったので、諦めて、結局 Ford の Falcon という何でもない車になってしまいました。
一年の滞米生活から帰って、行く前に乗っていた Sprinter Coupe が忘れられず、また、同じ車を今度は brown のものを買いました。これを3年以上乗っていたときに、生涯最初で最後の head-on accident を起こし(責任は相手と半々で、互いに弁償責任なし)、修理不能ということで、泣く泣く諦め、一日も車なしでおれない生活でしたから、行きつけの garage で直ぐ間に合った Collora 30 という sedan の中古車を買いました。これが、my driving life の唯一の汚点ですね。
これに乗っていた時だと、覚えていますが、半年間当時の西ドイツの Wuppertal というところの大学へ、UCSD 時代の office mate (研究室を share していた関係です)だった、Jurgen Meisel を頼って、visiting scholar として、行きました。彼は、Romance 語の専門で、フランス好みなので、Renault 1000 に乗ってました。それを、Citroën の新車に買い換えたところで、私が来ることが分かっていたので、Renault を私のためにとっておいてくれました。そして、私が帰る時には、彼の友人の絵描きが買ってくれるという約束で、その Renault を彼から譲ってもらいました。この Renault、わずか1000cc でしたが、地面に張り付いたように走り、高速道路では、140km/h まで平気でした。これを駆って、北はHamburg と Amsterdam、南は、Mediterranean Sea、東は、Wien、西は、Paris まで、Europe の中央部を高速道路で走り回りましたね。Paris へは、2回行きました。この時、Hamburg では、Staadtsoper、Wien も Staatsoper, Milano では、La Scala, Paris では、Palais Garnier(通称オペラ座のことです)で、オペラを見ましたが、そのことは、Armchair theater goer の時に詳しく書く予定です。
このドイツ滞在中、横断歩道を渡ろうと信号で待っていたら、、若い女性がふたり、BMV の two seaters の sports car で、top down で通りかかりました。映画のシーンのような感じでしたね。美人でしたしね。それが、私が sports car に見せられて、いつかは、ああいう sports car に乗ってやろうと、決心した瞬間でした。
そこで、ドイツから帰って、また、Collora 30 をしぶしぶく乗っていたある時、家からはかなり遠いところで、信号で停車したら、その傍に TOYOTA dealer があって、その show window に発売されたばかりの Carina hardtop My Road が陳列されているのが目に留まりました。カッコいいな、と思わず dealer の駐車場へ入って行ってしまいました。こちらがその気になっていると、car salesperson には、鴨ですね。私の住所を聞きだして、翌日支店長と担当者が、私の家まで来て、結局惚れた車、買う事になりました。
Hardtop というのは、普通の sports car の softtop を、常時 top up いしている状態ということで、sports car の一種とみなすことができます。Carina hardtop My Road は、four seaters でしたが、あえて言えば、これが、私の sports car の乗り始めということが出来ましょう。
そして、この後の車から、私の本格的な sports car 時代が来ますが、それについては、次回に。

2011年6月25日土曜日

私の名詞 Sports car driver の巻

Sports car driver というと、いかにも racer のような感じがしますね。そして、いつも high speed でぶっとばすという感じもあります。
私の場合は、そういう意味ではなくて、私の昭和41年(1966年)以来の、driving life において、短い例外期間を除いて、sports car あるいは、sports car type の車を運転していたので、そう呼ぶのも悪くないな、と思って名詞に載せています。
いまひとつ理由があります。NHK の TV ドラマにもなった白洲次郎氏は、英国紳士風の dandy boy で有名でしたが、その dandy 振りを象徴するのに、当時として珍しい sports car を乗り回し、それを 60歳過ぎまで乗っていた、ことがあげられています。
そうなら、70歳を過ぎてなお、sports car に乗っている私の方が上手だから、sports car driver と名乗ってもいいな、と勝手に思っているわけです。
多くの人が誤解していますが、sports car というのは、何も高速でぶっ飛ばすためのものではないですよ。車の免許を取るために driver's school へ通っていた時、学科の講習で、ある講師が、こんなことを言ったのが、印象的で、今でもよく覚えています。
その講師曰く、
皆さん、これから免許を取って車を運転するでしょうが、私が理想としている運転の仕方があります。ある時白髪の紳士が sports car に運転しているのに出会いましたが、白髪をなびかせて、ゆっくりと優雅に運転していました。車の運転は、速いだけが芸でない。車の運転は、本来紳士のたしなみだから、そういう風な運転を心がけてください。
とまあ、こんな風な話だったと思います。
その頃、私は、白髪なぞ一本もなく黒々した毛が多すぎるくらいでしたが、そうか白髪の方が格好いいな、と思ったものでした。
それから、何年かたち、人より早く、白髪になりました。
これ余談ですが、大阪で、港の方へ行くバスに乗っていた時のことです。その時は紺のブレザーを来て、紺のマリーンの帽子をかぶっていました。
帽子のしたから、白髪が波打ってでていましたね。バスは空いていました。そうしたら、近くの乗客が、あなたは外国航路の船長さんですか、と訊いてきました。まあ、そういうことです。
そこで、私は運転する時は、いつも紺のマリーンの帽子をかぶっているのですが、top down で走ると speed を出しすぎると帽子が飛んでしまします。だから、speed は控えめに 100km/h 以上は出さないようにしています。top up の時は、そうでもないですが。
それに、sports car は、車体が低く、要するに地面を這うように走ります。そうすると、車高の高い車より、speed 感があります。だから、それほどspeed を出さなくても、speed 満足感があるのです。昔自動車関係の雑誌で読んだことですが、car racer は、公道を走る時は、絶対 speed violation はしないそうです。
sports car driver には、そういう safety driver という意味も含まれているのです。ちなみに私は、このところずーと golden license です。
ということで、次回は、では、どの様な sports car あるいは、sports type の車に今まで乗ってきたか、を紹介したいと思います。

2011年6月21日火曜日

私の名詞、Alt sax player of Enka の巻 2

前回、alt sax で、カラオケで演歌を吹いている、と書きましたが、演歌だけを吹いているわけではありません。
そもそも、私が alt sax を吹こうと思ったのは、Gerogia on my mind を演奏したかったからです。最初に吹けるようになったのは、この曲でした。次に吹きたかったのは、The Way We Were (追憶)、Barbara Steisand と Robert Redford 主演の映画の主題曲です。あの映画のRobert Redford は、本当に素敵でしたね。この曲を吹くと、あの映画のいくつかのシーンが浮かんできます。
その他、Harbor Lights,  A WHITE SHADE OF PALE (青い影)、Imagine, Yesterdaya Once More が間違えずに吹けるれパートりーですね。
演歌以外の日本の曲では、「5番街のマリー」「なだそうそう」「知りたくないの」をよく吹いています。
クラシック曲も吹きます。ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」はお得意です。それにヘンデルのオペラ「リナルド」のアリア「私を泣かせてください」、プッチーニの「西部の娘」の Johnson のアリア Ch'ella mi creda libro e lontano は、自分で歌うのも好きですが、風呂の中でないと声が出ないけど、sax ですとちゃんと音が出るので気分がいいですね。やはり、プッチーニの Gianni Schicchi からの有名なソプラノのアリア O mio babbino caro (私のお父さん)は、自分で歌うのは無理でも sax なら吹けます。
こういう曲をいつ吹くか、ですが、夕飯のあとに腹ごなしに吹くことが多いですね。幸い田舎で、すぐ傍に家がないので、夜吹いていても、近所迷惑にならないのです。
Sax を吹くというと、肺活量が大きくなければ、と思っている人がおおいでしょうが、吹奏楽器で大事なのは、一旦吸った息を、いかにゆっくり吐いて楽器を鳴らすか、が問題です。そのためには、複式呼吸が大事です。健康のためにもなります。また、指を全部使わなければなりませんから、指の先まで血液が回りますので、これも健康にいいですね。
今まで人前で演奏したのは、甥と姪の結婚式、大学のクラス会、高校のクラス会、母が入居していた施設のクリスマス会(これは、母の生前から約束していたものを、母の死後約束を果たしたものです)。そのくらいですね。いずれも、出演料なしです。もっとも遠慮なく悪口をいう高校の同級生たちが、一番感心して、これくらい吹ければ、施設などの慰問に言っても恥ずかしくないぞ、と言いました。もっとも、金はとれんな、と悪口を付け加えるのをわすれませんでしたが。
人前で演奏する時には、自分でカラオケを用意しなければなりません。
演歌の場合、正式には3コーラスありますが、テレビなどの場合は、歌手は2コーラスしか、歌いません。
カラオケは、3コーラスあります。皆さんもカラオケで歌うときは3コーラス歌うでしょう。
歌う時は、歌詞がありますから、3コーラスまであってもいいですが、sax の場合は、同じ旋律を3回も吹くと退屈します。
そこで、音声処理ソフトに SoundForge で、2コーラスに編集し、演奏する予定の曲だけを、CD に焼いて持って行きます。CD の代りに、SD card に wav file で copy して、Roland の IC recorder で再生することもありました。こういうことにも、 PC が活躍します。
余分にアンコール用も用意しておくのですが、今までは、出番はなかったですね。
何も楽器を play しない人、どうですか、何か始めたら。人生豊かになりますよ。カラオケで歌うより、楽しいですよ。
ということで、私の名詞 Alt sax player of Enka の巻、終わります。

2011年6月20日月曜日

私の名詞、Alt sax player of Enka の巻

先ずは、なぜ、Enka となっているか、です。
カラオケというと、歌うときの伴奏のためのものと、思っている人もおおいでしょうが、殆どの楽器にも、カラオケがあります。
一人で楽器を演奏する時に、伴奏を録音したものです。
alto sax の場合の場合も、楽器店に行くと、カラオケ CD 付きの楽譜が各種ありますが、何故か、選ばれている曲目は、映画音楽、J-pop, classic など、いわゆる洋楽ものばかりで、演歌は、私が探した限りでは、どこの楽器店にも net 上にもありません。
Alt sax だけでなく、Tenor sax, Flute, Clarinet, Trumpet なども同じです。つまり、こういう楽器を演奏する人は、演歌は吹かないのです。

その一方、カラオケ単独の CD は、演歌ばかりです。欧米の歌のカラオケも最近は出揃っていますが、置いてない店も多いですね。
そこで、演歌のカラオケで、その楽譜を見ながら、sax を吹こうとすると、音程が合いません。Alt sax の方が三度高いのです。
楽譜の読みに精通したひとなら、演歌の楽譜を見ながら、三度高い音を吹くこともできますが、私のレベルでは、無理です。
そこで、どうしたか、というと、ネットで Finale という楽譜作成ソフトの体験版を download して来ました。
正規版を買うと、確か10万円近くします。簡単な楽譜を作るだけですので、体験版で十分でした。
こうして、演歌の楽譜を作って、alt sax 用に変換する option を選ぶと、あっという間に alt sax 用の楽譜に変換してくれます。
演歌の場合、元の楽譜は、シャープやフラットひとつの調が多いのですが、alt sax 用に変換されると、途端に シャープ4つとか5つという、見た目にややこしい楽譜になります。そして、下の「西海ブルース」の楽譜で分かるように小節が多いので、指を素早く動かさなければなりません。

だから、alt sax 用?の曲ばかりを吹いていると、なかなか演歌は、吹けないのです。
というわで、Alt sax player of Enka と名乗っているわけです。
どうやって練習するか、というと、ここでもPC が活躍します。カラオケ CD を、私の場合は、SoundForge という音声処理ソフトに呼び込みます。そして、難しい passage のところを、下図のように、マウスでハイライトし、その部分だけを、何度でもリピートするのです。CD や tape では、こういうことは出来ません。
演歌は、節を知っていて、自分で歌えるものですと、何度か練習するうちに、楽譜を見なくても、暗譜で吹けるようになります。
こうなると、小節なども、自分流に気分をこめて吹けます。強弱もつけやすくなります。要するに、歌うように吹けるようになります。
現在のところ、暗譜で吹ける演歌のれパートリーは、「さだめ川」「西海ブルース」「愛の旅路」「長崎は今日も雨だった」「博多の人」「みちづれ」「なみだ恋」「大阪しぐれ」「千曲川」くらいですが、楽譜を見れば、歌える曲なら、大抵なんでも吹けます。
Alt sax player of Enka と言っても、演歌だけでなく、他のジャンルの曲も吹けます。それについては、次回にします。

2011年6月18日土曜日

私の英語養殖法。

今回は、私の英語養殖法の紹介です。魚類の養殖に喩えて紹介します。

英語に、限らずことばは、めちゃくちゃ単語を並べるのでなく、どの言語にも、並べ方の決まりがあります。
そこで、英語を養殖する場合も、まず、でたらめに泳ぐのでなく、一定の規則にしたがって泳ぐように、訓練します。
天延英語の場合は、いわば野放しの状態で泳ぎながら、それでも自然に覚えますが、結構時間がかかります。
全部の規則を覚えるのには、生まれてから、数年かかります。
そんな時間をかけて養殖していては、採算が合いません。
そこで、天然英語の場合に、試行錯誤しながら、時間をかけて覚える規則を、最適順序(と、私が考えるもの)で、集中的に習得させます。その習得の仕方は、ことばで規則を説明するのでなく、規則に従った文を作りながら、規則を意識せずに、規則にしたがって泳ぎながら習得します。
一日にどれだけ時間をかけるか、ですが、一日30分以上、毎日泳げば、三ヶ月で、必要な規則は、全部習得できるようになっています。個体によって違いはありますが、通常は、一年もあれば十分でしょう。養殖でも、育ちのいいのと、悪いのに分かれのは、いたし方のないことです。

養殖は、きれいな水で行わなければなりません。天然英語には、えてして、濁った水のような音のものがあります。Californian English のように、語尾がはっきりしない尻切れトンボのような英語があります。
養殖英語は、きれいな済んだ音で泳ぐようにします。節々まできちんと聞こえるような泳ぎをさせます。天然英語のもでるとしては、アメリカ中西部の英語です。(このことについては、「英語学習もろもろ」のブログで、もっと詳しく書いています。)下のサイトの前後を参照してください。
http://76871734.at.webry.info/201101/article_3.html
養殖する場所は、日本ですので、水は日本の水を使います。日本の文化・社会・風習に染まった水を使います。
従って、養殖英語で話すことは、先ずは、日本において住んでいる環境で経験することです。そういうことを話させるために、エサとして、各個体に、その生活に関する質問を与えます。具体的に言えば、個体自身に関すること、その家族に関すること、学校生活に関すること、住んでいる町に関することです。
それが、少し出来るようになったら、平行して、天然英語の人との共通の水である、科学的知識、世界の歴史・地理などが養分となっている水槽を泳がせます。将来、他の国の天然英語の人たちと対等に話しができるようにするためです。
ある程度、自分のことが話せる段階になったら、smart phone を持って泳がせます。そして、閑さえあれば、twitter させます。その際、親指 texting で、話すスピードで touch typing できるようにします。次の段階では、blog を作らせます。他のメンバーの blog を読んで、comment を書き込むことを強制します。そうしないと、comment しないものが多いからです。Comment は、一種の栄養剤で、これで、よく太ることができます。
養殖側で、英語で twitter して、それを follow させます。その twitter は、養殖魚の英語レヴェルにあわせたものを数種用意しておき、follow するものを指定します。Follow した twitter には、RT するよう奨励します。
個体の英語力を見極めて、天然英語者 の twitter 指定して、follow させます。RT もさせます。
まあ、まだ実際にやってないこともありますが、このようにして、養殖したら、小学校の4年生から6年生までの、三年間で、現在の中学三年レベルよりはるかにまさる、下手な高校三年生や、大学生より、英語の泳ぎが上手になりませんか。
どこかの、市町村でやってみたら。

2011年6月15日水曜日

天然英語と養殖英語、どちらが美味しいでしょう?

私の名詞の「肩書き」について、ひとつずつ説明をしているところでした。
最初に、Batting Center Oldest Regular、次いで、CM cut Expert、更に、DVD/BD Label Designer について説明し、映像資産家に入ったところでした。ここで、問題が起きました。映像資産について、2回書いたところで、最後に5月23日に書いたあと、続きを書いていてそこに書こうと思った DVD が、貸し出し中で手元にないことに気がついたのです。ないままに書こうか、と努力してみたのですが、やはり、思うように書けません。仕方ないので、続きは、DVD が戻った時に、再開するとして、先に、英語養殖業の方について紹介させていただきます。

私の名詞の「肩書き」の中で、おそらく、この「英語養殖業」が、何をすることか、もっとも分かりにくいでしょう。
実は、今年の1月5日から、数回にわたって、私の別のブログ「英語学習もろもろ」で、「養殖英語」について、初めて書いています。
http://76871734.at.webry.info/201101/article_1.html
こちらのブログでは、そこに書いたのとは、ちがうアプローチで書いて行きます。そちらの方も参考にしてください。重複する部分もあると思います。

「養殖」というと、直ぐ思い浮かぶのはなんですか。「養殖真珠」「養殖うなぎ」どちらを、思い浮かべましたか。ほかに、養殖する食用魚類としてな、ハマチ、ブリ、マス、鮎などがあり、牡蠣も shellfish ですから、魚類の一種でしょうか。ここでは、従来の養殖について書くのが目的ではないので、このことについては、下記 Wiki を参照してください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/養殖業

養殖されるものに対して、本来自然界にあるものは、「天然もの」と言われます。天然真珠、天然うなぎ、天然鮎。
英語では、natural を使って、natural pearl, natural eel, natural ayu と言います。
こういうものは、養殖ものより、珍重され、値段も高いですね。
ブリなど、天然ものは、養殖ものより、倍以上の値段ですが、実際食べてみると、養殖ものの方が脂がのっていて美味しいことがあります。
長良河畔の有名旅館のおかみが、怒って私に話したことがあります。そこは、なにしろ「鵜匠の宿」として有名なのです。「うちは、天然ものしか使わないと、東京などから来たお客さんが、小さいやせた鮎を食べさせた、と言って文句を言う人がいる。養殖ものしか食べたことのない人は困ったもんだ。」
皆さんは、日頃、鮎やブリは、養殖ものを食べていますか、天然ものですか。牡蠣はどうですか。あなたのもっている真珠の装身具は、養殖真珠を使ってますか、天然真珠ですか。
普通の庶民は、養殖もので、結構満足しているのではないでしょうか。私なんぞは、養殖ブリの照り焼きのほうが、天然ぶりの照り焼きより脂がのっていて好きですね。鮎はもともとそんなに好きでないので、どちらでもいいですが、それなら安いほうがいいですね。真珠は、私の誕生石ですので、カフスボタン cuff links は、真珠ですが、養殖ものです。

英語というと、native speaker が尊重されています。英語のALT は、native speaker しか採用されません。
英語国で、生まれながらに英語で育った人の話す英語は、言ってみれば「天然英語」です。
だから、native speaker の話す英語が、「天然英語」だということができます。
うなぎや真珠や牡蠣などは、養殖もので、満足している庶民が、こと英語となると、「天然もの」にこだわりますね。
一口に「天然英語」といっても、産地はさまざまです。原産地のイギリス英語、英連邦 British Commonwealth を構成する、Canada, Austoralia, New Zeland など、India, South Africa, Bangladesh もそうです。
http://en.wikipedia.org/wiki/Commonwealth_of_Nations
昔々、昭和38年ごろ、名古屋のアメリカ文化センターの英会話教室へ、2,3回行ったときの講師は Indian でした。
私の学生が、Bangladesh からの留学生と結婚しましたが、その留学生、岐阜に居ついて、英会話塾を始めました。いちおう「天然英語」です。岐阜のフィリッピン協会の会長は、日本人と結婚していたフィリッピン女性でしたが、英会話学校を経営していました。Philippines は、英連邦ではなく、国語も英語ではないですが、学校教育も英語で行われ、その英語は、「天然英語」とみなされています。
というわけで、日本では、英語は「天然もの」であれば、産地を問わず、高く売れます。

それに対して、変な天然英語より、日本で養殖した英語の方がよっぽどいいですよ、と英語の養殖をしようというのが、「英語養殖業」です。
どういうことをするのか、まあ、当たり前のことをするのですが、次回から、紹介します。