2011年7月29日金曜日

Happy ending のオペラ

  オペラに馴染みのない人たちの興味を惹くために、美女とその悲劇的な死を扱ったオペラを紹介してきました。
全てのオペラが、悲劇で終わるわけではありません。Mozartの、特に人気のある4つのオペラは、全部 happy end です。
Mozart の4大オペラは、日本語訳のタイトルだけでなく、原語で知っておくと、国際コミュニケィションの場で役立ちます。
Le Nozze  di Figaro, Cosi fan tutte, Don Giovanni と  Die Zauberflöte (The Magic Flute) です。最後の「魔笛」は英語で覚えていてもいいかも。なぜなら、原題のドイツ語を知らない英語国民もいますから。Broadway musical の Lion King の演出で評判になったJulie Taymor が、メトで演出した The Magic Flute は、英語上演でした。
4大オペラで死ぬのは、Don Giovanni の主人公の Don Giovanni だけです。そして、それは目出度いことですので、オペラとしては happy end です。
その他の happy ending のポピュラーなオペラをいくつか紹介します。今まで紹介した東欧の美人歌手も、Mozart や次に紹介するオペラに出ています。悲劇のヒロインとは、一味違った歌と演技で、楽しませてくれます。 
Johann Strauß の Die Fledermaus (こうもり)
Franz Lehár の Die lustige Witwe (The Merry Widow)
  この二つは、opera というより、operetta (喜歌劇)と呼ばれるます。
Richard Straus の Der Rosenkavalier と Arabella など。Salome は、Salome の死で終わります。
Gaetano Donizetti のL'elisir d'amore は、喜劇です。Lucia 歌いのソプラノは、大抵この opera の女主人公 Adina を歌っています。
Gioachino Rossini の Il barbiere di Siviglia (The Barber of Seville)
  Rossini は、生涯で34のオペラを作曲していますが、日本では、他の曲はあまり知られていません。彼の生地 Pesaro の Teatro Rossini で毎年開かれる Rossini Opera Festival は、
http://en.wikipedia.org/wiki/Rossini_Opera_Festival は、1980年から毎年開かれ、ヨーロッパの opera festival でもっとも ticket を手に入れるのが難しいといわれています。そこで上演された多くの作品が Classic Japan で放送されています。悲劇も喜劇もあります。 

今、こうやって、ポピュラーなオペラで、happy ending のものを、思い出し、思い出ししていましたが、やっぱり少ないですね。もっとあるはずだが、と思って、「オペラデータベース」というサイトで、オペラ史上の重要な作品が列挙されているサイトを見てみましたが、上記以外に2,3悲劇的でないものもありますが、日本であまり上演されないし、DVD/BD でも、多く出てないものです。
http://www.and.or.tv/operaoperetta/
そうすると、オペラはやはり、美女が悲劇の死を遂げるメロドラマということに、結局なるようです。
上記オペラのタイトルをなぜ、わざわざ原語や英語で紹介したか、には次の理由があります。
ひょっとして?これらのオペラを見てみたいと思う人がいたら、Amazon.com で探すといいからです。その際、日本語では検索できないので、原語か英語がいるからです。Amazon.co.jp で日本語で検索してもいいですが、Amazon.com と Amazon.co.jp では、customer review の質量が、全然違います。だから、Amazon.com の customer review を参考にして、優れた上演を選び、それを Amazon.co.jp で注文するといいでしょう。私ならいつでも相談にのりますから、ご遠慮なく、どうぞ。オペラファンを増やすためなら、協力を厭いませんから。

2011年7月28日木曜日

東欧はなぜ美人オペラ歌手を大勢生み出すか

  今日のテーマは、東欧はなぜ美人オペラ歌手を大勢生み出すか、です。
そんなこと分かる人いるかな。それなのに、あえて、なぜ、そんなことを考えたか、というと、こんなわけがあります。
クラシック音楽の専門チャンネル「クラシカ・ジャパン」には、「ポートレィト」と題する、音楽家の生い立ちからその活躍を紹介する一連の番組があります。
その中のひとつ Elina Galanca の「ポートレィト」を見た時に、非常に感じたことがありました。彼女は、子供の頃は、演劇も俳優志望でした。
ところが、彼女の両親は、どちらも声楽の音楽家で、母親は、vocal music teacher で、Elina を、2歳の頃から、自分の lesson の場に連れて行っていたそうです。Elina は、おとなしい子で、何時間でも飽きずに、lesson を聴いていたそうです。そして、自分も歌手になりたいと言い出した時、母親は、女性がその道で、プロとして生きていく厳しさを知っていたので、猛反対しましたが、Elina の意思は固く、20歳の時に、ラトビアの音楽アカデミーに入学しました。この documentary 番組で、彼女がくり返し語ってのは、声楽教師の重要性でした。そして、さらに、次の画面のようなことを語っています。
オペラ歌手が、コンピュータの制御で歌うなどとは、信じれないでしょう。
もちろんこれは喩えですが、私の知るところでは、vocal training というのは、ものすごく科学的なのです。「現代の」という受け加えがいるかもしれませんが。特に横隔膜や呼吸筋をどう使うか、というのが科学的に研究されています。
ということで、思い出したのが、旧東ドイツが、あの頃の Olympics で、水泳、陸上などで、金メダルを独占したことです。そして、それは、スポーツ科学研究所における科学的研究による、科学的トレーニングがあったことがあきらかになりました。その結果、世界各国で、スポーツの各分野での科学的究明が進みました。プロ野球の世界でも、肩は消耗品だといって、100球を超えると、交代するという現象が起きています。あれの科学的根拠はあったかな。
旧ソ連圏では、スポーツ選手は英雄化され、また、優れた芸術家は、人民芸術家の称号を与えられ、生活も保証されていました。第二次大戦終了後、直ぐ、ドイツ軍によって破壊された当時のスターリングラード(現レニングラード)で、人民の住宅より、劇場の建設を優先させたのは有名な話です。一方、愛知県では、終戦後の初代民選桑原知事が、県美術館(現在の美術館の前身)と、県立芸術大学を設立した時、検問の住宅の方が先だ、と猛烈な批難を浴びました。何の違いでしょうか。
というような諸事情を考えると、旧ソ連圏の国々では、スポーツや芸術の分野で、その技能の科学的研究が進んでおり、それに基づいた、科学的とレーニンが行われていた、と考えるのは、どんなもんでしょう。
そういう科学的とトレーニングでは、もって生まれて才能もあるでしょうが、才能よりも、それに基づいた訓練がものを言います。Galanca も、寝て歌ったり、逆立ちで歌ったりという猛訓練を繰り返したと、語っています、そして声域を一オクターブ半広げるのに一年かかった、とも語ってます。そして、その話の最後に「思えば気の長い話です」と付け加えています。
一方、イタリアの生んだ名歌手たちを、見ていると、なんとなく、生まれながらの名歌手という感じがします。Pavarotti など、あの輝かしい高音で歌いながら生まれたのではないかと、思ってしまいます。だから、いくら飲んで食って、太っても平気なのです。
一方、苦しいとレーニングで、美声を獲得した歌手は、節制して、体型を保ち、いつまでもトレーニングを怠らないので、太るひまがない、と私は考えるのです。
このところ紹介した東欧圏出身の美人歌手たちは、全員自国の音楽院で歌手としてのトレーニングを受けています。
もうひとつ東欧圏出身の歌手に共通することがあります。Netrebko 以外の歌手は、世界的に上演される自国語のオペラ作品がありません。世界の歌劇場で歌うには、イタリアオペラ、フランスオペラ、ドイツオペラを歌わなければなりません。彼女らに共通するのは、殆ど全員がイタリアオペラとフランスオペラが歌えます。Galanca は、ドイツ語のオペラも歌います。一方イタリアのソプラノ歌手は、イタリアオペラしか歌えない人が殆どです。
このあたりの事情、東欧圏以外の、旧西ドイツ、スペイン、南米、北欧、イギリス出身の歌手についてはどうなのか、また、別の機会に紹介します。
そこで、なぜ東欧圏から、美人歌手が多くでるか、を結論付けていえば、こんなことになるでしょう。
旧ソ連圏では、アスリートや芸術家が重んじられ、スポーツ、芸術の分野で、西側よりも、科学的トレーニングが、進んでいた。そこで、容姿がオペラの主人公にふさわしい人が、太っていなくても(そもそも太ってるオペラのヒロインはいない)、訓練によって、コンピュータのように正確に声をコントロールすることによって美声を獲得することが出来た。結果として、美人がオペラ歌手になれた。
こんなこと言ったの、私が始めてでしょうか。他に同じこと言っているひとがいたら教えてください。

2011年7月27日水曜日

東欧は、美人歌手の宝庫。なぜ?

  今回は、なぜ、このところ西欧のオペラ界に、こんなに美人 soprano が出てきたか、のお話です。
昔は、特に日本では、オペラは見るものではなく聴くものでした。LP レコードの時代になって、オペラ全曲盤が出るようになりました。それが CD にも受け継がれました。FM 放送が始まると、毎週日曜日に FM オペラアワーが出来て、長時間のオペラも放送されました。LP や CD を買うとオペラ台本の日本語訳がついてくるので、それを読みながらオペラを聴くわけです。
レコードですから、歌手の顔は見えません。解説書に写真が載っていますが、美人に見えるように写してありますので、オペラ歌手は、美男美女だと思っていた人も多かったですね。その頃のオペラ歌手は、とにかく声がいいことが第一条件でした。歌手ですから、当然ですが。
オペラ劇場では、顔の見分けがつくような上等な席で見れられる人は限られていて、殆どの人は遠めにしか見えないです。
「夜目遠目傘の内」と言いますが、女性が美しく見える場合のことです。オペラ劇場で「遠目」でみれば、みんな美人に見えたかもしれません。
そこへ、日本の Pioneer が Laser Disk を開発して、その販売戦略として、特にアメリカ市場を狙って、メトロポリタンオペラの上演を録画して、販売しました。日本でも発売されて、私が「レコード芸術」誌推薦版を片っ端から買ったという話は前にしました。その時に、coloratura soprano として、メトで名声を誇っていて、レコードでその美声を聴いていた歌手の舞台を始めてみました。
カメラが遠めで写しているときは、別になんとも思いませんでした。Cameraman というものは、photographer もそうですが、zooming up が好きです。また、その頃の video camera は、まだ性能が、今の HD に比べたら画像の鮮明さが落ちます。それを補うためには、zooming up で、いわゆる「アップの画像」をとりたがります。そうすると、どうなるか、今で覚えていますが、あえて名前は出しませんが、その美声の歌手が「遠目」から、アップで顔が大写しになったとき、げーとしましたね。私は二度とその LD は見ませんでした。今調べたら、その LD、DVD になって今でも出ています。
その他、台本では絶世の美人となっているのに、有名な黒人ソプラノが主演している舞台も、LD で見たら、すごい違和感があって、これも二度とみませんでした。
LD は、全曲盤ですと、一万円以上しましたし、player も高かったので、結局あまり普及しませんでした。オペラの LD を買った人は、私のオペラ狂の友人もそうでしたが、オペラが好きで、見たくてたまらない人たちだったでしょう。そういう人は、オペラ歌手の顔など、どうでもよかった人が多かったようです。それとも、目をつぶって聴いていたかも。
DVD が普及し、player も一万円を切る頃になると、DVD のオペラ全曲が、各種出回り始めました。普通の2時間もののオペラですと、3,000 円くらいで買えます。全集などにして、一曲 2,000円以下のものも出回っています。
最初の頃は、録画されるのは、メトを初め、欧米の主要劇場の上演が主でしたが、イタリアの地方都市の歌劇場でも有名歌手が出演したものを、その劇場なり、映像会社が収録して販売するようになりました。
そうすると、当然売れる見込みの多いものを映像化します。映像化するか、どうか、は、演出者が決めるのではないのです。オペラの DVD 制作・販売会社の社長なり、担当者が決めるのです。
と、すれば、当然、美人歌手の出演したものの映像化を優先するでしょう。
簡単に言えば、そういうことで、演出家というより、映像会社の要求で、美人歌手の出演が望まれたわけです。
その時に、ぞくぞく現われたのが、東欧出身のソプラノ歌手だったのです。前回、前々回に美人歌手を紹介した時、出身国も挙げておきましたね。その時に気がつきませんでしたか。
Nebrebko はロシア、Gheorghiu はルーマニア、Galanca はラトビア、Machaidze はグルジアです。
ちょっと上の世代にも、東欧出身の人気歌手が大勢います。必ずしも、この4人ほどの美人ではないですが、不美人ではないです。
Raina Kabaivanska ブルガリア(この人は美人歌手と言われ、日本でも人気があります。美人好みのカラヤンがオペラ映画トスカに起用しています。
Maria Guleghina ウクライナ、Edita Gruberova スロヴァキア、Eva Malton ハンガリー、Lucia Popp スロヴァキア
今顔を思い浮かべると、それなりに美人ですね。
忘れたならないのは、これらの歌手は、みんな美声で、歌がすばらしいです。
では、なぜ、東欧から、こんなに多くの、天が二物を与えた女性歌手が出てきたか、と当然思うでしょう。なぜでしょうね。
私の考えを次回に述べてみたいと思います。

2011年7月26日火曜日

美しきソプラノたち

  オペラファンならずとも、美女が死ねば、紅涙?を流す人も多いでしょう。それが、きっかけになってオペラを見ようという人が増えないかと思って、こういう話を続けているのですが。
それは、そうと紹介した死の場面のソプラノ、みんな美人だったでしょう。
最近、写真家が、舞台を離れた美人ソプラノの写真集を作るのが流行っています。私の知る範囲で、そういう写真集が出ているのは、死の場面で登場した soprano/mezzo soprano  では、Netrebko, Galanca の2人です。オペラの場面では紹介しなかった soprano では、NY 生まれで MET の女王である Rene Flemming とドイツはバイエルン生まれの Annette Dasch です。
それぞれの写真集から、一枚づづ紹介します。ここに名前を挙げた順です。どうです、映画女優も顔負けでしょう。顔だけでなく、スタイルも抜群なのです。




Gheorghiu と Machaidze は写真集は、まだ?出ていませんが、Gheorghiu の素顔の写真と Machaidze の舞台衣装を写真を紹介しておきます。


そこでですね。こんな映画女優顔負けの soprano たちが、続々出てきたのは、まだ、ここ10年あまりのことです。それまでの soprano というと、失礼ですから、いちいち名前を挙げませんが、名ソプラノと言われた人は、殆ど全部、大柄で、横に太く、人によっては、2メートル以上で、とてもとても、台本にあるような絶世の美女と言えたものではありませんでした。
例外はありました。Maria Callas は、めちゃくちゃ太っていましたが、ある日自分の姿を鏡でみて、あまりの醜さにビックリして、ウソか本当かしりませんが、回虫を飲んで、痩せて、最後には「メディア」という映画に主演するほどの、美女になりました。そして、ギリシアの海運王 Aristotle  Onassis に求婚されて、前夫と離婚して、再婚しましたが、今度は、Onasis が、Kennedy 大統領が暗殺されて、未亡人になった Jacqueline に目をつけて、結局すてられました。という話はご存知でしたか?
当時世界のオペラファンの間では、Renata Tebaldi と Maria Callas が、soprano の人気を二分していました。その Tebaldi が、1961年に初来日し、Tosca を歌ったときのことです。第二幕の有名なアリア Vissi d’arte, vissi d’amore (歌に生き、愛に生き)を歌った後、拍手が鳴り止まず、確か10分くらい続いたはずです。そして、熱狂した観客が「ブラボー、ブラボー」と絶叫しました。別に不思議はないでしょう?
ところが、公演の後、Tebaldi が、「私長年舞台で歌っていて、bravo と言われたの初めてですわ」と、不満そうに言ったのか、冗談で言ったのか、わかりませんが、とにかくそう言ったそうです。そして、「私があまり大きくて女に見えなかったのかしら」と付け加えてという話です。
この話のミソは、知っている人にはよく分かるでしょう。つまり、イタリア語は、他のロマンス系のフランス語やスペイン語と同じく、形容詞には、男性形、女性形、複数形があります。Bravo, Brava, Bravi となるのです。
Tebaldi は、soprano でもちろん女性ですから、欧米では、必ず Brava! と叫びます。それが、日本に来たら、Bravo! と言われたので、やはり多分頭に来たとおもいますよ。
オペラには、一人で歌うアリアだけでなく、tenor と soprano, bariton と soprano などの男性歌手と女性歌手の二重唱があります。それが終わった時に、Bravo! と言ったら、女性歌手は、怒って退場してしまうかもしれませんよ。そういう場合は、お世辞でも Bravi! というものです。
なぜ、このところ西欧のオペラ界に、こんなに美人 soprano が出てきたか、今日はそこまでお話するつもりでしたが、Callas と Tebaldi で脱線しましたので、続きは今度です。
Bravo, Brava, Bravi の区別は、くれぐれも忘れないでくださいよ。そして、私の blog には、ぜひ、Bravo! を。

2011年7月25日月曜日

Armchair Theater Goer の巻 ソプラノが自決する時

  この前の Madama Butterfly の最後の自決の場面を capture しながら、思ってたことです。
こういうのも Armchair Theater Goer しか、気がつかないことかもしれません。
あの五つの場面で、蝶々さんは、どの様に懐剣で、自決したのでしょうか。
ひとつは、首に懐剣を当てて、頚動脈を切っています。ひとつは、後ろ向きの場面で、どうやら懐剣で胸を突いているようです。
男が、短刀で自決する場合は、腹をきりますね。切腹です。苦しいから、介錯をしてもらって、なるべく早く息の根を止めてもらいます。というより、首を落とされます。
女性の場合は、介錯がないので、即死できないですね。「椿三十郎」の最後の三船敏郎と仲代達矢の決闘シーンで、仲代が頚動脈を切られた瞬間、ものすごい血しぶきが噴出しました。もっとも白黒映画ですので、真っ赤な血ではないのですが。話に聞くと、頚動脈を切ると、あのようにすごい血が噴出すそうです。
蝶々さんも、頚動脈を切るという演出なら、血を噴出さなくても、その場で即死ということはあります。
しかし、胸を突くという演出だったら、どうなるでしょうか。蝶々さんは、10代後半の女性ですから、まだ胸はそう大きくないかもしれませんから、短刀も通るでしょうか。しかし、そのためには、着物を重ね着していては、ダメです。演出では、薄着になっているのがありましたね。
蝶々さんは、それでいいですが、他のオペラでも、ヒロインが、短刀で胸を突いて自決する場面がよくあります。演じているソプラノは、みんなすごい breast の持ち主です。演じている劇中のヒロインも同じでしょう。
胸を突く、と言っても、一体どこを突くとおもいますか。心臓を突かないとすぐ死ねないでしょう。心臓は、あの大きな 左の breast の下になるでしょう。Breast を突き抜けて、心臓まで短刀が届くかな、と心配になりませんか。と言って、breasts の真ん中を突いでも、死ねないでしょう。
だから、オペラのソプラノのような巨大な breats の持ち主は、「胸を突いて」自決することは不可能で、頚動脈を切るのが best? だ、というのが、私の結論なんですが、皆さんどう思いますか。
Carmen が Don Jose に指されるシーンでは、紹介した演出では、背中から刺していました。Jose は、前からでは、breast を突き通せないと知ってたから、背中から刺したんですね。前から刺す演出もありますが、あれは演出家が、そういうことを考えなかったのでしょうか。
舞台を見ているだけでは、気がつかないことを、armchair theater goer は、映像をコマ送りしながら、見つけ出すことも出来るのです。
私が、なぜ、こんな話をするか、というのは、オペラというと、高尚過ぎて、とっつきにくい、と思っている人が多いので、なるほど、そういう見方も出来るか、一つ見てみようか、という人が一人でも増えないか、と思ってです。
しかし、まあ、お粗末な話ではありました。

2011年7月23日土曜日

Armchair Theater Goer 急増!

   Armchair Theater Goer など、沢山いないかな、と思っていたら、そして、皆さんもそう思っていたでしょう。
今朝の日経「文化」欄を読んでびっくりしました。なんのなんの急増しているのです。
読んだ人もいるでしょうが、同じように思ったでしょうか。この記事の紹介、今のオペラ編の後にしようか、と思ったのですが、オペラの話、まだまだ続く感じですので、今日は、その話をやめて、この記事を紹介します。
記事の見出しは、
ライブ、ネットで参加
中継通じ変わる音楽の「現場」 世界中に観客、表現者に刺激

肝要なところを、そのまま引用します。

  インターネットの動画配信サービスを利用した中継専用のライブハウスが相次いで開業。人気アーティストのライブを自宅にいながら生で楽しむことが当たり前になってきた。ネット中継は聴き手やアーティストの意識も変えつつある。

今月18日、東京・六本木のライブハウス「ニコファーレ」。人気アイドルグループのAKB48が歌い踊る。「ゆきり~ん」「こじはるううう」。ひいきのメンバーへの声援がネオンサインのように壁面を流れていく。自宅のパソコンや携帯電話でライブを見ている人が書き込んだコメントだ。

ニコファーレは 380人収容と小規模だが、ニコニコ動画の生放送で、全世界に音楽ライブなどを中継する。18日のこけら落としライブの視聴者は約67万人に達した。

四方の壁面と天井に発光ダイオード(LED)モニターを設置。様々な映像や、視聴者が書き込むコメントを即時に流す。3次元(3D)映像などを駆使し、視聴者がライブに参加する感覚を味わえるようにした。

これまでに実際の会場への入場券が1万4000枚、6800万円に対し、有料ネット配信のチケットは5万1600枚、7300万円が売れた。「ライブのネット中継にお金を払うことが定着しつつある」

ライブのネットでの生中継が急速に広がっている。昨年末、宇多田ヒカルが動画サイト「ユーストリーム」で生中継したコンサートは101カ国の34万5000人が見た。

「ライブハウスやクラブを第1の現場とするなら、個々の視聴者が自宅でユーストリームや連動するツイッターを使ってライブを楽しむ行為は全く新しい別の現場。そのくらい無視できない存在になってきた」

この動き、オペラ、その他の performing arts にも広がるかどうか、どう思いますか。メトの live view は、現在劇場でしか、見られませんが、あれを家庭で見せることは、技術的に可能です。
そうすれば、全世界の人が、armchair theater goer になって、自宅でメトの舞台を楽しむことが出来ます。あれ、劇場で見ると、3,000円ですが、有料配信を、500円くらいにすれば、世界中で何十万、いや何百万という人が見るのではないかな。メトの総支配人のピーター・ゲルブさんにメールで提案してみるかな。

2011年7月22日金曜日

私の名刺 Armchair Theater Goer の巻 美しきソプラノの死。

前回は、蝶々夫人の最後の自決の場面が、演出によって、どのように違うか、五つの演出から caputure した画面で見みてもらいました。
今回は、いろいろなオペラで、ヒロインのソプラノが死ぬ場面を、どうやって死ぬのか説明を加えて、見てもらいましょう。
オペラのヒロインは、悲劇的な死を遂げることを期待?されているので、安楽に畳の上(は日本のことで、オペラではベッドです)で、死ぬことは滅多にありません。ベッドで死ぬのは、病気で死ぬ場合です。昔ですと「死の病」の結核の長患いで、死ぬケースが普通です。
それも、やっと恋人と再会して、これから幸せになろうというときに、寿命が尽きてしまうのです。そういう運命なのです。
最初は、Puccini の La Boheme の Mimi です。この場面は、既に死んだ後に、恋人の Rodolfo が泣いて抱きついている場面です。
  Mimi は、ルーマニア出身の美人 Angela Gheorghiu です。やはり美女でないと、悲劇性が出ません。
その Gheorghiu が、La Traviata の Violetta でも、やはり結核の長患いの末、やっと再開できた恋人の Alfredo の腕の中で息絶える場面です。Tenor は、どちらも Mexico 出身の Ramón Vargas です。典型的なずんぐりむっくりの tenor です。
  次は、Torino Winter Olympics で荒川静香さんが滑ったアリアのある Puccini の Turandot で、あのアリアの後、女奴隷 Liu が、慕う王子 Calaf の身分を明かさないために、自ら短刀で自害する場面です。Liu の死という、このオペラのひとつの highlight です。Soprano は、アメリカ出身のLeona Mitchell. それほど有名ではありませんが、私の好きな soprano です。

次は有名な Carmen の最後です。Carmen が Don José に刺された直後の表情です。本当に刺された感じですね。Soprano は、ラトヴィア出身の Elina Garanca. これはメトの公演で、彼女は、この30年間の最高の Carmen という評判をとりました。Tenor は、スペイン出身の Roberto Alagna. 彼は、この公演の前に、Gheorghiu に離婚させられていたので、余計うらぶれた感じが出たと評されていました。

次は、Rigoretto の 娘の Gilda が、自分を騙した公爵の身代わりになって、殺し屋の手にかかって、親の Rigoretto に抱かれて死ぬ場面です。Soprano は、グルジア出身の Nino Machaidze. 私の大好きな soprano です。美人というより、まだ20代で、可愛い感じです。

その Machaidze が、メキシコ出身の Rolando Villazón と共演した、Gounod の Roméo et Juliette で、最後に自分で胸を突いて、Romeo と死をともにする場面です。短刀を胸に突き刺した瞬間の場面です。

最後の二つは、ロシア出身の、これまた美人 soprano の Anna Netrebko の死の場面です。
上の画像は、Roland Villazon と饗宴した、Massenet の Manon の、最後の Manon の死の場面です。愛する Des Grieux の腕の中で最後の息を引き取る場面です。

下の画像は、Donizetti の Lucia di Lammermoor で、兄から強制された結婚の相手を、新婚の床で殺して、気がふれた Lucia が、有名な「狂乱の場」の長いアリアを歌ったあと倒れた場面です。彼女はこの後、間もなく息を引き取ります。

こうして、集めてみますと、みんな見事な死に様ですね。こういう迫真の演技が見えるのも armchair theater goer ならばこそです、
どうですか。皆さんも armchair theater goer になって、佳人薄命、美女が死ぬ、しかも、死ぬ間際まで、劇場の隅々まで響く声で歌を歌って死ぬ場面を沢山見てみたい、と思いませんか。それも、アップで。

2011年7月20日水曜日

私の名詞 Armchair Theater Goer の巻 オペラにまつわる話

  Armchair theater goer は、先ず、最初は、オペラです。
オペラの好きな人は多くはないので、なるほど、そういうことなら、armchair theater goer に、ひとつなってみるか、という気を起こさせるような話をしてみたいと思います。うまく行くかな。
オペラは、日本の歌舞伎と似ているとよく言われるし、そう思っている人も多いです。実際は大違いです。
一番の違いは、オペラは歌で、歌舞伎はセリフです。その他、家の芸とか、公演の仕方など、いろいろ違いますが、もっとも大きな違いは、オペラには、演出家の存在が、特に最近は不可欠ですが、歌舞伎には、コクーン歌舞伎や猿之助歌舞伎のような例外はありますが、伝統的には、演出家は存在しません。歌舞伎については、歌舞伎の巻でお話するとして、オペラの話を進めます。
21世紀の現代でも、新しいオペラは創作されていますが、世界のオペラハウスで上演されるオペラの大半は、オペアフアンの好きな限られた作品をくり返し上演しています。よく上演される作曲家は、
Verdi, Puccini, Roccini, Donizetti, Bellini などのイタリアオペラ、
Wagner, Richard Strauss, Weber などのドイツオペラ、
Bizet, Gounod, Saint-Saënsなどのフランスオペラ、
それに Mozart。
なぜ、Mozart を最後に持ってきたかというと、Mozart はドイツ語圏ですが、主要作品は、イタリア語なので、ドイツに入れられなかったからです。
ヨーロッパに行くと、ちょっとした中規模の都市にもオパラハウスがあります。そして、毎年9月から、4月頃までがオペラシーズンです。
なぜ、そうなっているか、というと、そもそも太陽の国と言われるイタリアの南の方のローマでも、その緯度は、函館と同じです。それよりずーと上のフランスやドイツの都市なら、北海道の釧路より高いところにありまさす。そうすると、9月には、もう日は短く、冬間近かという感じです。私が1976年に3月から9月最初まで、ドイツの Wuppertal (Düsseldorfの近くです)に滞在していた時、その時はたまたまヨーロッパは、100年に一度の暑い夏といわれていたのに、8月には、自動的にアパートの暖房が入っていました。
だから、長い、暗くて寒い冬の夜を楽しむために、オペラシーズンがはじまるのです。
そして、五月のある日、本当に突然、枯れ木に花が一斉に咲きます。そうなると、人々は、太陽に飢えてましたから、室内でオペラなど見る気がしません。オペラシーズンは終わります。
余談ですが、June bride というのは、5月に春になり、恋の季節が始まって、そして 6月には、もう goal in する人が多いので、June bride が生まれるのです。もうおなのなかには baby がいることが多いようです。
実は、昨日ここまで書いて、こんなこと、オペラに興味のない人には、つまらぬ話かなあ、と急に思い出して、中断してし、公開しませんでした。
今朝読み直してみて、折角書いたから、やっぱり公開しておけばよかった、と後悔したので、後悔ついでに公開することにしました。
まあ、オペラファンならずとも、こういうヨーロッパの生活を知っておくのもよいでしょう。
この続きどうなるか、次回です。

2011年7月18日月曜日

私の名詞 Armchair Theater Goer の巻 そもそものなれそめ。

  Armchair Traveller は、昔から英語にあったのですが、Armchair Theater Goer は、私の造ったことばです。
  Armchair Traveller が、armchair に座って、TV 画面での旅行番組を見ながら旅をするように、
Armchair Theater Goer は、armchair に座って、TV 画面で劇場での上演を見るのです。
TV 画面で、劇場での上演を見れるようになったのは、それも頻繁に見れるようになったのは、まだ、ここ2,30年のことですから、Armchair Theater Goer ということばが、昔からはなかったのは、無理もありません。
テレビ画面で映画を見る人は多いですね。放送されるものだけでなく、以前はビデオ、次には DVD、最近は BD を rental shop で借りてきたり、市販のされているものを買ってきて、自宅で見る人は多いですね。
私も映画も録画して見ます。映画は、本来「映画館」で見るものでしたが、ビデオや DVD/BD のお陰で家でも見るるようになりました。
「映画館」は、英語では、movie theater と言いますから、一応 theater ですが、舞台があって、そこで演じるものではありませんので、本来の theater ではありません。
私のいう Armchair Theater Goer は、舞台上演される performing arts を劇場へ行く代わりに、映像化されたものを armchair に座ってみる人のことです。映画をTV 画面で見る人は、couch に寝そべって potato chips を食べながら見るのが典型的なスタイルのようです。Couch potato 族と呼ばれています。たとえ armchair に座っていても couch potato 族と呼ばれるようです。
Armchair Theater Goer の見るものは、基本的に舞台で演じられる performing arts です。次のようなものがあります。
オペラ、バレー、ミュージカル、演劇、以上は西洋的なものです。
日本の伝統的なものは、
歌舞伎、文楽(浄瑠璃)、能、狂言、日本舞踊
これら以外にも、手品、漫才などがありますが、私がもっぱら見るのは、上記9つで、その中でも、能、狂言、日本舞踊は、あまり見ません(ということは、これらの録画作品は少ないということです。)
Performing arts は、本来劇場へ行って見るものです。それを、テレビ画面で見て「済ます」?のは、邪道?だという人もいますが、私の考えでは、Armchair Theater Goer ならではの楽しみ方もあるし、実演では、見れないものも見られるので、これはこれで、独立したりっぱん「鑑賞法」だと思っています。
そのことを感じたには、次のような逸話?があります。Laser disk が普及し始めた頃の話です。私の年代の音楽ファン(クラシック音楽ですが)なら、知らない人はない著名な音楽評論家に村田武雄という人がいました。演歌のファンなら別の村田武雄を思い出すでしょうが。
混同されないように、Wiki の紹介を引用しておきます。
長年、ラジオ番組『音楽の泉』の2代目進行役をつとめた音楽評論家。1950年代から1980年代にかけて、クラシック音楽に関する書籍などを多数執筆し、その普及につとめた。海外の音楽関連の書籍の翻訳なども手がけている。晩年は、音楽評論家の当時の代表格として数えられる存在だった。堀内敬三の後を受けてNHK番組音楽の泉解説者としても知られた。永井荷風と三田文学を通じて知り合い、親交があった。また、慶應義塾大学・国立音楽大学などでは、教授として音楽史について教鞭を執っていた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/村田武雄
そういう音楽界の大御所ですから、いろいろな音楽会に出かけ、最上等の席で鑑賞してみえたでしょう。それが、やはり人の子、よる年波で足腰が不自由になり、あの狭い劇場の椅子に長時間座っておれなくなりました。
ヨーロッパの劇場では、2回のバルコニーに、VIP 用の box 席があり、偉い人はそこでゆったり座って鑑賞することができますが、日本は、全員平等に、同じサイズの狭い椅子です。飛行機の economy class 並みの椅子と足幅です。あれに長時間座っているのは、年をとると苦痛になります。
そこで、村田先生も劇場へ足を運ぶことが減ったわけです。丁度その頃、日本のパイオニアが laser disk を発売し、欧米市場の販売促進のために MET や イギリスの Royal Opera と契約して、オペラの上演を録画し、LD で日本でも発売しました。そこで、村田先生、早速買い求めて自宅で LD による opera 鑑賞を始めました。Armchair Theater Goer の先駆けです。  
その感想を、『レコード芸術』誌に、書いて見えたのを、今でもよく覚えています。先生曰く。 
 今まで舞台の実演を見ていて気がつかなかった。オペラ歌手が、歌うだけでなく、ちゃんと演技をしている。しかも、目の演技がすばらしい。
 一応オペラの筋を知っていて、どういう内容のことを歌っているか、分かってはいたが、歌につれて、下に字幕が出るのを読んで、ああいうことを歌っていたのか、と初めて知ったことが一杯ある。
へえー、村田大先生にしてそうだったか、と、その時思いましたね。
それで、私も先生にならって、opera は、音だけの CD を買うのをやめ、『レコード芸術』で紹介され推薦される LD を買い集め始め,
先ずは、opera の Armchair Theater Goer になったのであります。

2011年7月15日金曜日

私の名詞 Armchair Traveller の巻 12 Travelix 世界体験旅行

   Armchair travel も、今回でもう12回になります。まだまだ尽きませんが、またいつか再開することにして、一応今回で終わることにします。
そこで、最後を飾るのは、もっとも長者番組であるBS 日テレの、その名もずばり Travelix です。
この番組 2003 年に始まっていますから、今年で、もう9年目です。次のように三つのシーズンに分かれています。
トラベリックス 〜世界体感旅行〜(ファーストシーズン) 2003年10月26日 - 2007年3月25日
トラベリックスII 〜世界体感旅行〜(セカンドシーズン) 2007年4月1日 - 2008年3月30日
トラベリックスIII 〜世界体感旅行〜(サードシーズン) 2008年4月6日 -

セカンドシーズンまではゲーム的要素を持った双方向番組でした。ゲーム内容については、下記サイトを参照してください。
  http://ja.wikipedia.org/wiki/トラベリックス 〜世界体感旅行〜
現在のサードシーズンからゲーム内容が全面的になくなって、落ち着いた旅番組になりました。私は、第一シーズンから録画していますが、第二シーズンまでは、ゲームに関するところを全部カットするのに手間がかかりました。
2008年4月からの第三シーズンになって、落ち着いて旅をすることができるようになりました。
NHK の「ふれあい街歩き」のようにナレーターが旅をしているという設定で番組が進行しますが、ナレーターは現地へ行ってないので、画面には登場しません。ナレーターは、第二シーズンから日テレアナウンサーの本上まなみが途中出産のため代理に代わったことがあるが、その間を除いて現在まで担当しています。

本上さんは、画面に姿を現さないのに、食べ物を手に取る時など、女性の手だけが写ったり、ホテルで部屋に案内される時や、現地の家族を訪ねるときなど、相手は、manami と呼んでいるので、あたかも彼女がその場にいるかのような錯覚を起こさせます。私も今回、Wiki のサイトで
ナレーターが旅をしているという設定で番組は進行するが、ナレーターが実際に現地に赴いている訳ではないので画面には登場しない。
また、カメラの視線がナレーターの視線という設定でもあるので、このての番組に付き物のレポーターも登場しない。
その代わり、ナレーターが何かをしているという態で番組スタッフの手が頻繁に画面に登場する。
という記述を読むまでは、半信半疑ながら、どう見ても本上さんが、そこにいるものとばかり思っていました。
まあ、それくらい、彼女と一緒に、旅をし、人と出会い、美味しいものを食べるという感じの楽しい旅ができます。下の図の示すように世界各地へ travelix しています。

現在の進行中で、ほぼ毎週新しいところへ行きますし、過去に行ったところも再放送があります。

ということで、一旦旅は中断しますが、私が今まで armchair travel したのに、まだ下記のように多種多様なものがあります。
各国の大河の旅、空からの旅、世界遺産を訪ねる旅、欧州美の浪漫紀行、世界一番紀行、女優山口智子の旅などなど、あれもこれも紹介したいものばかりですが、キリがありませんので、一度切り上げて、また、いつか再開します。
次回からは、もうひとつの armchair の楽しみ、armchair theater goer の巻です。
長らくの旅、お疲れ様でした。

2011年7月14日木曜日

私の名詞 Armchair Traveller の巻 11 ヨーロッパ水紀行

今日は、また、特別暑いですね。そこで、今日の armchair travel は、取って置きの「水紀行」です。
BS 日テレの長寿番組に、今は、「世界水紀行」となった、長寿番組があります。これは、「ヨーロッパ水紀行」として、2006年に始まったものです。第IVシリーズまで続いた後に、「世界水紀行」と名前を改め、その第一シリーズは、オセアニアで、オーストラリア、ニュージランド、第二シリーズはアメリカでした。第三シリーズは、アジアか南米でも行くのかと思ったら、また、ヨーロッパに戻りました。現在は、「世界水紀行ヨーロッパ編」として放送されています。正直言って、先のヨーロッパ水紀行と比べるとオセアニアやアメリカの水紀行は、面白くなかったですね。やはりそういう視聴者が多かったのか、ヨーロッパに回帰しました。
旅人は登場せず、初回から、日テレの人気アナウンサー延友 陽子のやさしい語りで進行します。
第三シリーズにある番組紹介文です。
人間にとってかけがえのない水、誰もが親しみを持つ水。水は集まって川となり、川の畔には古くから都市が建設され、文明が発達してきました。そうしたヨーロッパの都市には、何百年という歴史が刻まれて今日に至っています。
赤い屋根と白い石の壁など、ヨーロッパの街には中世の面影を漂わせた美しい風景が数多く残されています。水の畔にたたずむ街、そうした印象派の絵のような風景を求めて、水の文化を育んできた姿を求めて旅はつづきます。
長い歴史を刻んできた美しい街並み、またそこに住む人々の生活、その土地特有の料理など、ハイビジョン映像によって、あこがれの地ヨーロッパを旅して心を癒す、それが「ヨーロッパ水紀行」なのです。

ヨーロッパに住んだり、旅すると気がつきますが、この番組紹介文にあるように、「川の畔には古くから都市が建設され」ています。ドナウ川の畔には、ウイーン、ブタペスト、ベオグラードなどが、ライン川に沿っては、バーゼル、ストラスブール、マインツ、ボン、ケルン、デュッセルドルフ、ロッテルダムなど目白押しです。エルベ河流域には、プラハ、ドレスデン、ハンブルクが栄えました。フランス第二の都市リヨンは、ローヌ川とソーヌ川の合流したところに築かれました。パリは、セーヌ河畔に築かれたというより、セーヌ川が、パリ市内を貫いているという感じですね。
ロンドンは、テムズ川、モスクワはモスクワ川と、枚挙に暇がないほど、ヨーロッパの主要都市は、「川の畔」に建設されました。
ヨーロッパではないですが、アメリカ合衆国独立当時の13州の州都の多くは、川に沿って建設されています。首都がポトマック川の畔のワシントン DC に定められたのは、そこなら、各州から、水路で集まることができたからです。道路が完備していない時代には、水運による移動の方がはるかに便利だったのです。
アメリカで、自動車が発達したのは、西部開拓のための大陸横断は陸路に頼らざるを得ず、結果として道路が整備され、陸運のための馬車が発展して自動車になったのです。
日本でも、坂本龍馬のドラマなどを見ていると分かりますが、かっては、京都と大阪は三十石船で、水運で結ばれていました。『剣客商売』の小兵衛は、若い女房おはるの漕ぐ小船で、大川(隅田川の通称)を渡って、鐘ヶ淵の隠居所から、江戸の下町まで通ってました。 あの頃は、日本でも水運が盛んだったのでした。

  港というと、海に面した港しか思い浮かばないでしょうが、ヨーロッパでは、河の港が大きな河川に面した都市にはどこにもあります。更に、ライン河、ドナウ河という自然の大河川が、運河で結ばれ、ヨーロッパ中に張り巡らされた運河を辿れば、どこへでも行けます。
今の日本では忘れ去られた、人々の河川との深い結びつき、それが育てた文化、中世から続くそんな「水の文化」を辿る旅に、あなたも出てみませんか。暑い夏には、一服の清涼剤になるでしょう。それだけでなく、底深いヨーロッパの歴史に思いをいたすことでしょう。
淀川長治さんではないですが、「いやー armchair travel っていいもんですね」

2011年7月13日水曜日

私の名詞 Armchair Traveller の巻 10 バスの旅

今まで、陸路では、鉄道の旅、てくてく旅、自転車の旅をしてきました。バスの旅は、まだでした。何故かバスの旅の番組は、鉄道に比べると少ないですね。平坦な舗装道路だけならいいですが、でこぼこ道や、曲がりくねった山道などもありますから、取材が大変なんでしょう。特に海外では。その数少ないバスの旅で、この四月から始まった新番組が、BS-TBS の『地球バス紀行』です。
大陸を横断する長距離バスから都市部を毛細血管のように走り回る生活動線バスまで。ナレーター佐藤隆太が旅人目線でおおくりする新しい紀行ドキュメンタリー番組。
http://w3.bs-tbs.co.jp/bus/
旅人の佐藤竜太君は、たまには姿を現しますが、もっぱら自分の行動の語り役に徹していますから、見るほうとしては、NHK の『ふれあい待ち歩き』の感じで、自分で旅をしている感じになります。今まで、15回放送されています。
バスというのは、列車と違って、道のあるところ、どこでも行きますので、大都市だけでなく、各地の田舎をあちこち旅することができます。そして、竜太くんが、出会うバスの乗客や訪れる人々の交流がほのぼのとして、人間味溢れる番組です。
特に、最新作の 7月12日放送の「幽玄の北部山岳の村へ」へは、旅の最後に、ベトナムの最北部に住む少数民族花モン族の集落を訪ね、そこの位置家族の家に一晩とまり、夕食を一緒にする旅で、竜太君は、そこにいるのに、姿は現さず、見ている方が、一緒に食事をする感じがして良かったですね。幼馴染若い夫婦とその親の一家の和やかの雰囲気。同じようなこと言いますが、人間っていいもんですね。
バスの終点の街から、山を越えた村までは、3キロの道のりを歩いての旅でした。
この旅について、竜太君は、次のように語っています。
今日の舞台はベトナム。1000年の都・ハノイを起点に、ベトナムの北部をめぐります。そんな旅で出会ったのは、世界遺産・ハロン湾に生きる子どもたちと、険しい山の中で、昔ながらの暮らしを続ける少数民族の人々。出会いと発見にあふれた旅になりました。

このバスの旅は、アジアだけでなく、ヨーロッパ、南米、アフリカなど、世界各地を回ります。
もうひとつ、やはり BS-TBS に『遥かなるアジアハイウェイ』というアジアのバスの旅の番組あります。
現代のシルクロードとして、国連によって提唱されたアジアハイウェイ。 アジア32カ国を横断する全長14万キロにわたるルート。 その中でも、東京を起点に遥かトルコ・ブルガリア国境まで14カ国(東京、 韓国、北朝鮮、中国、ベトナム、カンボジア、タイ、ミャンマー、インド、 バングラデシュ、インド、パキスタン、アフガニスタン、トルコ)を結ぶのが“アジアハイウェイ1号線”。 今回は、平和の象徴として50年前に提唱されたアジアハイウェイの中から 1号線を旅し、そこに生きる人々の暮らしや食、文化、歴史などを辿るアジア横断ハイウェイ紀行番組。
http://www.bs-tbs.co.jp/app/program_details/index/KDT1001400
これは、2010年に放送されたものですが、2011年6月から再放送中です。放送予定は上記サイトで分かります。
この番組も、大都市だけでなく、バスの行くところ地方の町々も訪れ、行く先々の人々の生活をいろいろ紹介してくれます。アジアの人々は、われわれ日本人にとっては、やはり、親近感がありますね。
われわれは映画やテレビドラマで、欧米の人間や生活を見ることは多いですが、アジアの映画は、なかなか見る機会がないので、こうしてアジアの田舎を旅すると、人間理解が深まります。
Armchair travel は、毎日でも、世界各地、行きたいところへ行けますよ。そして、いろいろな人と知り合えます。思うんですがね、そのうちに、そういう人たちも、smartphone で、twitter や Facebook、mail などするようになって、番組でその人たちの mail address や twitter account を紹介してくれるようにならないものでしょうかね。そうすれば、まさに、global human network が出来ますね。
That's my dream.

2011年7月12日火曜日

私の名詞 Armchair Traveller の巻 9 イタリアの小さな村へ

前回は NHK の「世界ふれあい街歩き」で、世界中の街を歩きながら、普通の人々の普通の生活にふれあいました。
同じように、世界の街を歩く番組は、BS-TBS にあります。題して『ゆらり散歩世界の街角』。毎週火曜日19:00~19:54です。
番組 HP の紹介です。
世界各地のさまざまな「街」をゆったりと巡りながら、街並みや観光名所、グルメなどを紹介していきます。「街歩き」感を強調し、その街の歴史や風土、伝統文化、輩出した歴史的人物などのテーマで、想いを馳せるようなエピソードを、ふんだんに盛り込んだ番組です。見終わった後、「街歩き」を楽しんだ感覚に浸ると同時に、何か1つ「知的なトク」をした気分にもなる番組をお楽しみ下さい
http://www.bs-tbs.co.jp/app/program_details/index/KDT1003300
2010年4月からの放送で、今日7月12日で60回になります。ナレーターは、橋爪淳と田中美里が、交代で務めています。姿は現しません。
毎週土曜日23時より、過去の番組の再放送をしています。
番組紹介で分かるように、同じ待ち歩きでも、NHK とは、趣を異にしていて、どちらかというと観光的です。ふれあい的ではないです。それはそれで、楽しめます。

ふれあいというか、普通の人の普通の生活を訪ねるには、旅行番組ではないですが、BS 日テレの『イタリアの小さな村から』が、観光でなく、懐かしい人々を訪れる旅に行ってみたい気にさせる番組です。
番組HP の紹介です。
海を臨む小さな漁村、山肌にはりつくように佇む村、雪に覆われた山間の寒村…
気候や風土に逆らわず、共存しながら暮らす。
先人たちが築き守ってきた伝統や文化を誇りに思いながら生きる。
人間本来の暮らしが息づく「小さな村」が今、注目されています。 
古き良き歴史と豊穣の大地を持つイタリアで、心豊かに生きる人たち。
〝美しく暮らす 美しく生きる〟とはどういうことなのか。
私たちが忘れてしまった素敵な物語が、小さな村で静かに息づいていました。
番組ではありのままの時間の流れを追い、村人たちの普段着の日常を描いていきます。
http://www.bs4.jp/document/italy/outline.html
番組ナビゲーターは、イタリアをこよなく愛する個性派俳優の三上博史。
村人たちを見つめ、見守りながら、とある小さな村で出会った人たちの笑顔の理由を、
誠実に守られてきた村の尊い歴史を、そっと教えてくれます。

という番組です。2007年の10月に第一回を放送しています。今まで、98の村を紹介してきました。以前は、毎週新作でしたが、最近は、二週に一回くらいの新作で、旧作を何度も再放送していますから、今でも見ることができます。放送予定は上記 HP で分かります。
毎回、2人くらいの村人とその家族のありのままの生活を紹介します。親代々の仕事を受け継ぎ、生まれた村で一生を終わる、平凡な人々のお話です。何にも面白いことはありません。撮影にお金がかかる時代だったら、絶対写されることのない人々やその生活です。
しかし、そうして、遠く離れたところで営まれている「人生」を tele-vision すると、同じことを何度も言ってますが、人間どこにいても同じだな、とか、日本のどこかにも、こういう「人生」あったけど、いまもあるかな、など、いろいろ感興があります。そして、やはり、こういう人たちと戦争をしたくない、してはいかん、と思うわけです。Tele-vision によって、世界中の普通のひとびとが、互いの「平凡な人生」を分かち合うことが、声高なスローガンや「世界人類が平和になりますように」というポスターのようなものを貼っておくより、もっとジワリと人々の心に人類和み愛の気持ちをしみこませることでしょう。
イタリアの小さな村へ、armchair travel してみてはどうですか。

2011年7月11日月曜日

私の名詞 Armchair Traveller の巻 8 世界ふれあい街歩き

  土日と二日間一休みしたところで、疲れもとれたことでしょうから、旅を再開しましょう。
日本の「街道てくてく旅」と自転車により「こころ旅」のあとでは、今度は海外の歩く旅を楽しみましょう。
NHK の長寿番組「世界ふれあい街歩き」は、4月以降は、BS プレミアムと 地上波の総合 TV の二波だけになりましたが、それ以前は、廃止になった BS2 でも放送され、何度も再放送があって、ファンの多い番組です。今で、月に 2,3 本は、新作があります。これは見ているもおおいでしょうから、内容の紹介は省いて、案外気づかれてない、この番組の意義について述べます。
前々から、くり返し書いているように、海外の旅行番組が増えたのは、小型の高性能 portable TV camera と、記録 media や internet による映像電送技術の発達によるところです。それによって、言ってみれば、どうでもよい普通の人の、普通の生活を写すようになったのです。昔の TV 番組を思い出してください。映画の延長の TV ドラマや、スポーツ中継や、有名人の登場する各種の番組だけが殆どだったでしょう。普通の人や情景が TV に出て来るのは、事件が起こって、ニュースになったときくらいでした。
これも何度も指摘しているように、本来 tele-vision は、遠く離れていて、実際に見ることが出来ないものを、見せてくれるものなのに、まだ、10年くらい前までは、特別なものしか見せてくれませんでした。
「世界ふれあい街歩き」は、世界のごくごく普通の人の、普通の生活を、ありのままに見せてくれる最初の番組ではなかってでしょうか。今では、そういう番組が溢れていますが、映画スターでもない、有名人でもない人を、多分一度だけしか見ることのない、名も知らない人(名もない人ではないですよ。ちゃんと名前はあります)を、それも世界中の人を、あれだけ沢山見るようになったのは、この番組でした。少なくとも私にとっては。
これ以前の、世界紀行番組としては、1959年12月13日から1990年9月30日にかけて30年10ヶ月の間、TBS系列で主に毎週日曜日朝に放映された兼高かおる番組があるが、実は、私は、殆ど見てないので、なんとも言えないが、ちょっと違う感じがしています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/兼高かおる世界の旅
何が違うか、というと、上記 Wiki の記事を参考にすると、これは、兼高さんにあちこち連れて行って、珍しいものを見せてもらう感じです。
一方「世界ふれあい街歩き」には、ご存知のように、案内人は誰も登場しません。narration は、日本のスタジオで、現地へ行ってない声優などのタレントが行っています。だから、見ている人が、直接現地の人と、「ふれあっている」感じです。遠く離れたところにいる人と会っている感じですね。こういうのを見ていると、こういう人たちは、こういう人たちの家族や身内の人とは、戦争はしたくないな、とつくづく思うのは、私だけですかね。
実際に海外旅行しても、現地の普通の人と、その普通の生活と接する機会を持つ人は少ないですね。
こういう番組で、「ふれあって」、人間どこでも、だれしも同じだな、同じ人間だな、仲良くしなきゃ、と思うのも、こういう旅のお陰でないでしょうか。そういう人が増えてくると、世界ももっと平和になるでしょう。
こういう armchair travel の仕方もあるのです。
この番組、BS プレミアムと総合テレビで放送中です。是非、世界の人とふれあってください。





2011年7月8日金曜日

私の名詞 Armchair Traveller の巻 7 こころ旅と英語の旅

「街道てくてく旅」は、2005年から、2010年まで、6年間にわたって、日本各地の街道をてくてく歩きました。まだ、九州とか、山陰地方など残っていますが、NHK も、歩き疲れたらしく、2011年度からは、自称自転車ボーイ(と番組のどこかで言ってましたが)が、今回は、京都を出発して北海道まで、自転車で旅する番組です。番組が4月にスタートする前に、特別編として長崎を旅しています。
「街道てくてく旅」は、旅人が実際に全行程を踏破しますが、「こころ旅」では、肝心なところだけを、自転車に乗って、次の場所への移動には電車を使っています。何しろ60歳過ぎては無理は効きません。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/火野正平
私は、『影の軍団』第一部の火野正平(役の名前は忘れましたが)好きでしたね。ちなみに、私は『影の軍団』は、第一巻から幕末編まで、全部時代劇専門チャンネルで録画してもっています。どうでもいいことですけどね。
そこで本題に戻って、この「こころ旅」番組 HP の紹介によれば、、
みなさんのお手紙に書かれた「こころの風景」を求めて、俳優の火野正平さんが、自転車で日本列島を縦断します。
旅の目的地は、お手紙につづられた場所です。手紙と地図をたずさえて、送り主の思いに寄り添いながら旅をします。
旅の手がかりは、視聴者から寄せられる一通の手紙。
誰かにそっと教えたい「忘れられない風景」が記されています。
旅人はこの手紙をもとに、ルートを決め、日本列島を自転車で縦断していきます。
大切な人との別れや人生を揺るがす大きな事件、人生の転機に生きる力を与えてくれた“忘れられない風景”とは、どんな場所なのか?
寄せられるお便りをもとに、旅人が地元の人々とふれあいながら、峠をのぼり、谷を下り、時には自転車をバッグに入れて電車にも乗り、旅を続けていきます。
http://www.nhk.or.jp/kokorotabi/guide.html
6月で、春編が終了し、また、秋編が9月から始まります。今度は、兵庫から鹿児島です。
春編の旅先は、京都を出発して、福井、石川、富山、新潟、山形、秋田、青森の各県の日本海側を巡り、北海道へ行く、というものでした。上記サイトに8月の再放送予定が載っています。Video on demand でも見れます。
「街道てくてく旅」と同じく、日本の原風景ともいうべきたたずまい、素朴な人々、心温まる旅に、あなたも出かけませんか。
今日は、これだけでは、物足りないので、もうひとつ紹介します。
  NHK World で海外に放送されたものを BS 1 で放送している Journey in Japan という、やはり日本の各地を旅する番組があります。
放送予定などは下記サイトで。
http://www.nhk.or.jp/bs/journeys/
これは、日本人でなく、他国の若者が、日本各地を旅しするものです。英語でしゃべる部分は、字幕が出ますから、大丈夫?です。
その内容を、英語のHP では次のように紹介しています。
Every week, our reporters travel around the country, meeting the people in each area and exploring the local culture.
 They discover fascinating aspects of Japan that are hard to find in a guide book.
http://www3.nhk.or.jp/nhkworld/english/tv/journeys/index.html

この番組、英語の勉強になりますよ。たまには、他国の友人を英語で案内しながら、日本を旅したらどうでしょう。

2011年7月7日木曜日

私の名詞 Armchair Traveller の巻 6 街道てくてく旅

前回までの「列車の旅」「クルーズの旅」 ヨーロッパを主とした外国ばかりでした。Armchair traveller としては、海外旅行ばかりしているわけでなく、国内旅行もよくします。それも今回は、乗り物に乗らず、てくてく歩く旅です。
列車に乗って車窓から眺めていると、狭い日本でも、人里はなれたような鄙びた村落や、こじんまりとした集落を通り過ぎることがあります。日本の原風景という趣です。あっという間に通り過ぎてしまいますが、そんな時、ああいう所をのんびり歩いてみたいものだな、と思うのは私だけでしょうか。そういう人が多いからでしょうか。NHK では、2005年から、「街道てくてく旅」というシリーズを始めました。2,011年までに、毎年、計11シリーズが放送されました。NHK ワールドを通じて海外でも放送され、かっての故郷や、まだ見ぬ先祖の故郷の様子に郷愁をそそられた人が多かったようです。
Wiki には、直近の2011年以外の10回分の詳しい日程や、てくてく歩いた旅人のやや詳しい紹介も載っています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/街道てくてく旅
とりあえず、簡単に紹介します。
第1回 2005年11月岩崎恭子「四国・琴平→松山」。
第2回 2006年4月岩本輝雄(サッカー選手)「東海道」
第3回 2006年7月谷川真理、俳人松尾芭蕉が奥の細道で歩いた石川県内の道」
第4回 2006年秋。勅使川原郁恵「中山道」
第5回 2007年4月。勅使川原郁恵「甲州街道」
第6回 2007年9月。四元奈生美「奥州街道」
第7,8回 2008年四元奈生美「四国八十八か所」
第9,10回 2009年原田早穂「山陽道」
第11回 2010年森上亜希子「熊野古道
旅人は、いずれも少し前に現役を退いた、いろいろな分野の athlete たちです。Armchair traveller 人種のように、ぶらぶら歩くのでなく、毎日毎日、江戸時代の旅人のように、上記各街道を目的地にむかって、てくてく歩かなければなりませんから、現代の足腰のなえた常人ではだめで、スポーツで鍛えた athlete が起用されたのでした。顔ぶれをみますと、男性は、第二回の岩本輝雄だけで、他は全員若い女性ですね。

彼女たち、ただ歩くだけでなく、道すがら?という可、街道を通りゆく先々で、放送で知って、歓待してくれる地元の人々とのあたたかい交わりがあります。ドラマでは見られない、演技のない人々の表情や振る舞いこそ、tele で vision するのに、ふさわしいものです。日本ですから、自分もいったことのある土地の人たちですと、なつかしくなります。それに案外気がつきませんが、海外取材の番組でも、普通の人が一杯出てきますが、何をしゃべっているか、字幕でわかるだけですが、日本の人々は、日本語で話しますので、何だか知り合いになった感じがします。 
こういうことがありました。NHKの別の番組に「こんな素敵は日本があった」があります。私は、さつま芋の切干が好きで、シーズンには、いつもJA で買っているのです。その産地が、ひたちなか市でした。今年の2月頃だったと思います。その番組でひたちなか市が取り上げられることを知り、これは私の録画レパートリーではないのですが、見逃さないように録画予約をして、後から見ました。そこで、ああいう人たちが、いつも食べているさつま芋の切干をああやって作っているのだな、と親しみを感じました。いつか、行ってみたいな、とも思いました。そうしたら、あの3.11です。ひたちなか市も被害を受けました。あの切干し干し場やさつま芋畑はどうなったろうか、あの農家の人たちはぶじだろうか、と親戚でも知り合いでもないのに気になりました。そこで、切干しの包装袋に生産者の電話番号があるのを見つけ電話をしたんですよ。ただいま留守にしています、ということで通じませんでしたが、いままた思い出して、どうなっているか心配になりました。今年の冬は切干はたべられるだろうか、と。
テレビでみる遠くの人は、昔は小さな画面で、ぼやけていることも多かったですが、HD の大画面で、ほぼ実物大でみていると、実際にあっているような錯覚になりますね。
「てくてく旅」シリーズは、足腰衰えた armchair traveller でも、athlete の旅人が代わりに行ってくれるので、遠くの人々と、お知り合いになり、「世は情け」を感じさせてくれます。このシリーズ、on demand で全部見られるはずです。どうぞ、皆さんもてくてく、日本の街道を歩いて、各地の人々と交わったらどうですか。

2011年7月6日水曜日

私の名詞 Armchair Traveller の巻 5 Cruise の旅

戦後間もない昭和23年岡晴夫の歌う「憧れのハワイ航路」がヒットし、人々にハワイへの夢、そして、航海旅行の夢をかきたてました。私は小学校6年生でした。
今やハワイは、飛行機で気軽に行けるところとなり、世界の海を巡るクルーズの旅の広告が新聞紙面にも沢山載っています。
そういう時代を反映して、BS 放送にも、豪華客船によるクルーズの旅番組がいくつも登場しました。そういうクルーズを楽しむ人も増えているようですが、年金生活者には、閑はあっても、金がないので、なかなか出かけるわけには行きません。そこで、cruise の旅も armchair で出かけることにします。
BS 放送で、いち早くクルーズの旅を手がけたのは、TBS でした。2004年4月に、日本クルーズ客船の「ぱしふぃっくびいなす」号の北欧クルーズを「北欧スローライフクルーズ」と題して、全8話を放送しました。Narration だけで進行し、変な?タレントの出演者はいませんので、ゆっくり armchair cruising が楽しめました。中でも、Norway の フィヨルドをゆったりと進む Pacific Venus からの眺めは息を呑むような美しさです。HD 映像を 40 inch 以上の大画面でみると、臨場感があって、その場を実際 cruise している感じです。(と思える人は幸せです)
このシリーズの他の寄港地は、下記サイトで。
http://www.bs-tbs.co.jp/app/program_details/index/KDR0402800
そういえば、北海からバルト海へ抜けるキール運河の cruise も圧巻でした。番組サイトでは、次のように解説しています。
キール運河の航行は、のどかな田園風景を眺めながら。沿道には、船を見送る人々が集まります。運河を抜けるとバルト海へ。バルト海から向かうはヘルシンキ。

TBS は、引き続き、下記のような、Pacific Venus の cruise を放送しました。
悠久のアジアクルーズ 愛しき人々
http://www.bs-tbs.co.jp/app/program_details/index/KDT0602900
南太平洋楽園クルーズ
http://www.bs-tbs.co.jp/app/program_details/index/KDT0500700
南北アメリカ縦断クルーズ
http://www.bs-tbs.co.jp/app/program_details/index/KDT0703800
シネマクルーズ
http://www.bs-tbs.co.jp/app/program_details/index/KDT0500300
最後のシネマクルーズは、ちょっと趣が変わっていて、名画(映画の)の舞台となった港町を寄港するクルーズです。
『旅情』の ヴェネチア、『ローマの休日』のローマ、 『カサブランカ』のカサブランカ、『めぐり逢い』のニューヨークなどです。映画の場面を思い出しながらの cruise です。
これらは、初回放送後、再三再放送されています。そのうち、またあるでしょうから、気をつけているといいでしょう。
現在進行中の cruise 番組も2,3あります。その中で、今年の4月から始まった、やはり、TBS の『極上のクルーズ紀行』は、毎週水曜日の放送で、7月6日が、第15回です。第14回と第15回は、海洋 cruise ではなく、フランスのブルゴーニュ運河をゆったりのんびり cruise するものです。
番組紹介は、次のように述べています。
日常の喧噪を離れた優雅な時を過ごす旅、クルーズ。世界の文明は川のほとりに生まれ、そして海によって広がって行った。生命は水に育まれ、そして人間はその悠久の流れに身をまかせてきたのだ。ゆったり流れる時間を味わえるクルーズ。「極上」をキーワードに、こだわりの大人の旅を魅せる。歴史の深さや、文化の豊かさに迫る旅。そして、優雅にゆったりと流れる時間。専門誌「AZUR」と連携し寄港地の極上な歴史や文化・芸術・工芸品・料理など、極上な時間を過ごす客船で楽しむ旅の醍醐味を余すことなく紹介していく。
http://w3.bs-tbs.co.jp/cruise/index.html
どうです、皆さんも armchair cruise を楽しみませんか。暑い夏には、涼しい旅がいいですよ。

2011年7月5日火曜日

私の名詞 Armchair Traveller の巻 4

  前回は、民放BS の三つの「鉄道の旅」を紹介しました。そのいずれも、narration によって進行する番組でそた。その時は、書き忘れ増したが、特に列車の進行中にバックに流れる音楽の選択がいいですね。
案外気がつかれていませんが、番組制作にかかる費用に出演料がかなりの比重を占めています。俳優やタレントを使うとランクによっても金がかかります。現地で写す普通の人には、出演料を払う必要はないので、安上がりです。少しは謝礼を出しているのかな。
NHK は、お金があるのか、俳優の関口知宏を起用した「鉄道の旅」シリーズを制作しています。国内国外あわせて次の10本があります。

http://www.nhk-ep.com/shop/special/seki/
1. JR1200km 最長片道切符 (全42回 12000km)
2. JR2000km 乗りつくしの旅 春編(全36回 9000km)
3. JR2000km 乗りつくしの旅 秋編(全34回 6000km)
4. ヨーロッパ鉄道の旅 ドイツ編(2500km)
5. ヨーロッパ鉄道の旅 イギリス編(1800km)
6. ヨーロッパ鉄道の旅 スペイン編(3400km)
7. ヨーロッパ鉄道の旅 ギリシャ・トルコ編(2700km)
8. ヨーロッパ鉄道の旅 スイス編 (660km)
9. 中国鉄道大紀行 春の旅 (全50回 17000km)
10. 中国鉄道大紀行 秋の旅(全50回 19000km)
  これらは、全部 DVD で出ています。一枚3250円です。また、on demand で見ることもできます。録画は出来ないです。
https://www.nhk-ondemand.jp/program/P200800002500000/index.html#/0/0/
ご存知のように、関口君は、いろいろな楽器が弾けるし、絵が掛けるので、行く先々で楽器を弾いたり絵日記を描いています。その絵日記集も発売されています。上記サイトに紹介されています。
TV で見る現代中国の映像は、北京とか上海などの近代的は姿がおおいですが、上記の「中国鉄道大紀行では、鉄道の行き着く果ての僻地まで旅をして、普通見ることのない「田舎」の素朴な、ひとのよいい人々の様子が、好ましかったですね。貴重な旅でした。
これらの番組でする armchair travel は、いわばかっての「旅日記」や「紀行文」を読んでする armchair travel のようなもので、彼を旅の道連れにするのというより、見る側が、彼の旅の道連れになっているようなものです。
人によって好みはあるでしょうが、「旅する人」の道連れになる番組より、「旅する人」がいない、後の紹介するような、いても姿を現さない番組の方が、自分で旅をしている気がします。皆さんはどうですか。
このほかにも、鉄道の旅の番組はありますが、自分で探して、好きなものを見るとよいでしょう。

2011年7月4日月曜日

私の名詞 Armchair Traveller の巻 3

今回から、数回にわたって、私が armchair traveller として、どんな旅をしているか、ご紹介します。
前々回に書いたように、私の旅は、もっぱた TV 番組によるものです。TV 番組による armchair travel の場合、忘れてはいけないことがあります。本による armchair travel は、好きな時に好きなところへ行くように、本を選ぶことができます。
TV 番組は、曜日や、時間が決まっています。行きたいところへ行きたい時に行けません。だから、番組放送時に arm chair travel することはなく、前もって録画して、DVD/BD に写してある番組から、行きたい所を選んで、行きたい時に、行くわけです。これらの DVD/RD は、"CM cut expert" によって、すべて CM が cut してあります。 
旅と言えば、先ずは、鉄道の旅があります。前々回に書いたように、小型軽量 video camera によって、海外取材が簡単になっていらい、海外の鉄道の旅の番組が増えました。その中で、もっとも古いのが、2002年から放送されている、BS Fuji の「欧州鉄道の旅」です。現在116回まで放送されています。最近は、新作が減って、二ヶ月に一回くらいしかありませんが、その代わり、旧作を何度も再放送しています。
大陸編と英国・アイルランド編があり、前者は、毎週日火、後者は水に放送されています。各回の内容や放送予定は下記サイトにあります。
http://www.bsfuji.tv/eu/
同じくヨーロッパの鉄道の旅でも、ちょっと趣を変えたものが、BS 日テレから放送されています。これは、もともと CS の旅チャンネルの制作によるもので、そちらでも、現在も新作が放送されています。
BS 日テレのサイトの番組紹介では、次のように書いてあります。
ヨーロッパをほんのちょっとだけ贅沢に列車で旅する…
そんな夢を叶えたい方に是非見ていただきたい番組です。
フランス・パリからドイツ・北欧、そしてイギリスまで 、
くつろぎながら、それでいてアクティブに巡る列車の旅をご紹介。
もちろん、グルメやショッピング情報などの情報も満載でお届けいたします。
  各回の内容や放送予定は下記サイトにあります。
http://home1.tigers-net.com/iida/rj12000-f/rj12top.html
旅チャンネルでの最新は、51回目になります。

欧州だけでなく、世界中の鉄道の旅の番組が、BS-TBS にあります。「世界・夢列車に乗って」です。番組サイトでは次のように紹介されています。
ゆったりとした時の流れの中に身を置きながら、世界各地を駆け抜ける夢列車の旅。旅の魅力はそれぞれに異なる地で体感する『文化や遺産』『積み重なれた歴史の重み』など尽きることはありません。番組では様々な国での素敵な列車の旅を通じて旅先での感動と出会いを紹介します。 
毎週新作が放送され、「欧州鉄道の旅」より後発なのに、最新作は、137回で、先輩を追い越しました。毎週月曜日の放送で、火曜日に再放送があります。
http://www.bs-tbs.co.jp/app/program_details/index/KDT0705300
これらの番組は、全て、姿を現さない、ナレーターの語りで進行します。登場する人々も、遥かはなれたところの、普通の人で、演技のない日常を生活を、armchair に座って見聞しているわけです。本と違って、百聞は一見に如かず、の見聞録です。
下の画像は、上記番組で、私が、直近に armchair travel したところです。Spain, Africa, France Bordeaux です。

現在放送されている番組を紹介しました。皆さんも、これらの番組で armchair travel してみませんか。その時は、絶対 CM cut で行かないと、途中下車ばかりしなければなりませんよ。

2011年7月3日日曜日

私の名詞 Armchair Traveller の巻 2

前回は、armchair traveller について、勢いあまって、いきなり映像による armchair traveller にまで行ってしまいました。本来の armchair traveller は、本を読んで「旅をする」人のことです。言ってみれば、virtual traveller ですね。
では、どいう本を読んでいたか、です。
日本人なら『奥の細道』を知らない人はいないでしょう。芭蕉に限らず、文才のある人は、旅をすると、旅をしながら、あるいは、旅の後に、「旅日記」とか「紀行文」という形で、その旅の記録を後世にのこしました。
日本で有名なのは、古くは、『土佐日記』『十六夜日記』があります。『伊勢物語』は、旅日記ではありませんが、第九巻の「東下り」は、三河の国への旅の話で、在原業平の有名な「からごろも 着つつなれにし つましあれば  はるばるきぬる 旅をしぞ思ふ」は、その旅の時に詠んだものですね。
芭蕉には、『更科紀行』『野ざらし紀行』もありますね。江戸時代には、弥次さん喜多さんのお伊勢参りの『東海道中膝栗毛』が、当時のベストセラーになってます。
げんだいでは、小田実『なんでもみてやろう』、北杜夫『どくとるマンボウ航海記』、阿川弘之『南蛮阿房列車』、司馬遼太郎『街道をゆく』などがありますが、これらはみんな作家の筆によるものですね。
海外では、古くは、孫悟空が活躍する『西遊記』や、その基となった玄奘『大唐西域記』が、日本でも有名です。
マルコ・ポーロ、『東方見聞録』は、読んだことのない人でも名前くらいは知っているでしょう。
ゲーテの『イタリア紀行』、モンテーニュのイタリア旅行の記録『イタリア旅行記』も当時広く読まれました。
英国の詩人バイロンも、ポルトガル、スペイン、ギリシャなどを旅をものした『チャイルド・ハロルドの巡礼』を出版しています。
ダーウィンの『ビーグル号航海記』も一種の「旅行記」と言えるでしょう。一般の人は、あまり知らないでしょうが、人類学者のクロード・レヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』は、Wiki によれば、
1930年代のブラジルでの旅の記録をまとめた紀行文だが、その文章にちりばめられた思想、特に優れた未開社会の分析と、ヨーロッパ中心主義に対する批判により後に本書はセンセーショナルな評価を受け、文化人類学、また構造主義におけるバイブルのひとつとなる。また人文科学にも大きな影響を与えた。
という有名な本です。
作詞・永六輔 作曲・中村八大 歌・ジェリー藤尾の『遠くへ行きたい』という歌があります。
どこか遠くへ行きたい 愛する人と巡り合いたい
いつの日か幸せを 愛し合い信じ合い
どこか遠くへ行きたい 愛する人と巡り合いたい
夢はるか一人旅 遠い街 遠い海
どこか遠くへ行きたい 知らない海をながめていたい
どこか遠くへ行きたい 知らない街を歩いてみたい

人間って、誰しもそういう願望を持つことがあるでしょう。しかし、実際に遠くへ旅することは、特に昔はそう簡単には出来ませんでした。
そこで、実際に旅に出る代わりに、armchair に座って、「旅日記」や「紀行文」を読んで、「遠くへ行った」気になっていたわけです。

2011年7月2日土曜日

私の名詞 Armchair Traveller の巻 1

  Armchair Traveller というのは、日本語では、聞きなれないことばです。訳しようがないですね。
欧米語では、なじみ深いことばです。そのイメージは、季節は、何となく秋から冬の感じです。暖炉には赤々と薪が燃えています。その前で、armchair に掛けて、ottoman に足を乗せ、片手に wine glass か、それとも brandy glass をもって、やや大きめの本を開いて読んでいる、というところでししょう。これで、足元に大きな犬でも寝そべっていれば、ヨーロッパの上流階級の雰囲気ですね。

このイメージから、fireplace と dog を除けば、それが armchair traveller の私です。
ただし、私は、本を手にしていません。なのに armchair traveller と私があえて名乗るゆえんがあります。

Television は、tele- far + vision see で遠くのものを見るというのは、学校で習います。
しかし、その本当に意味するところは、案外誰も気がついていません。われわれが、日常身の回りで、見るものは、ありふれたものです。日常的に見るの顔も、普通の人です。
遠くのものを見るというのは、そういう自分の周りと同じような、遠くにあるものを見るということです。
スポーツの中継は、確かに「遠くのもの」ですが、日常的に見るものではありません。逆に、日常的な、町内運動会とか、子供の野球の試合などは、TV で放送しません。
TV 番組で、最も多い drama で見る登場人物が演じているのは、こしらえごとの、ウソの話で、実際に遠くで起こっていることではありません。
舞台中継も同じことです。
どうしてそうだったか、というと、TV 放送初期から、ごく最近まで、TV camera は重くて、持ち運びが大変でした。そして、映像を記録する media はvideo cassette しかなく、これが当初は、嵩張った、しかも高価なものでした。大河ドラマの始まったころは、NHK でも、同じビデオテープを、何度も使いまわしをしていました。だから、例えば、昭和42年度に放映された『龍馬がゆく』でも、確か一本しか、録画テープは残っていません。
だからその頃は、tele-vision と言っても、実際に遠くのものを見ることは出来なかったのです。このこと気がついていましたか?
そこで、ずーと、さーと、時代を下って現在、TV camera は片手で操作できるくらい小型軽量になり、記録 media も DVD から Blu-ray 更には SD card、時には直接衛星中継で本局まで飛ばすことも出来ます。だから、2,3人のスタッフで、海外どこでも行けるようになりました。撮影したのを、その日のうちに PC で編集して internet で本局に送れますから、録画 media を持ち歩く必要もありません。走って写しても、画面がぶれない装置も開発されてます。空中からの撮影も水中の撮影も、remote controller による、地底の撮影も、単に far だけでなく、high も deep の様子も、今やわれわれは、今に居ながらにして見ることができるのです。
そういう時代が来た時に、各 TV 局が競って手がけたのが、海外旅番組でした。
私の armchair traveller とは、そういう旅番組を、armchair に腰掛け、ottoman に足を乗せ、wine glass や champagne flute を片手に、うつらうつらして見ている姿です。

2011年7月1日金曜日

私の名詞 sports car driver の巻 5

Eunos Roadster までの車は、長く乗っても、二回目の車検の前で買い換えていましたが、Roadster は、三回目の車検の前まで、つまり、7年間のちました。Odometer は、10万キロを超えていたはずです。
次に何にするか、いろいろ迷いましたね。もう sports car 以外に乗る気はなかったですね。Roadster の人気以来、海外メーカーも、いろいろ sports car を出していました。その中で、イタリアの Ferrari に惹かれて、dealer まで見に行きました。Driver's seat にも座ってみましたが、結局諦めたのは、左ハンドルだったからです。その頃大学では、駐車場の出入りに、ゲートを通って、カードを入れなければならなくなっていました。左ハンドルでは、いちいち降りなければなりません。毎日ではたまったものではないので、諦めました。
丁度そのころ、イギリスの Rover が、確か日本法人設立30周年を記念して、かっての名車 MGF を復活したのを、特別価格で売り出しました。イギリス車なら、日本と同じ right hand drive car です。画像は赤ですが、私のは紺でした。
横置き midship engine の two seater convertible です。これがですね。二年くらい経った頃から、いろいろ故障がではじめました。このブログを各について、MGF について google してみたら、NGF 故障履歴に関するサイトが一杯ありました。とにかく、思い出しても腹が立つくらい、日本車ではありえない故障が続出しました。Waterpipe の亀裂、radiator の水漏れ、何かの原因で engine 水浸し、信じれないでしょう。これら全部 overheat の原因になりますから、運転不能になります。そして最後は、ギヤーが噛んでしまって、うんともすんとも動かなくなるという、こうなると故障というより、壊れた、というとこです。Engine を下ろして調べるだけで、30万円、修理には、どれだけかかるか分からない、という話でした。しょうがないので、廃車にしました。
さて、今度は何にしようか。以前ドイツで見て、sports car に乗ろうと思った切っ掛けになった、BMV の convertible の sports car の新型を日本の dealer の show room に陳列してあったので出かけて、パンフレットを貰ってきました。結局止めたのは、left hand drive car であったことと、NGF で、imported car 不信になっていたからです。
そして、既に発売されていた、MR/2 の後継車 MR/S にしました。青い body に真っ赤な seat です。Convertible で、top down にするとseats の色が目立つのです。Driver も上半身むき出しになりますから、body color や seat color にあった色彩の服を着るように気を使いますね。隣に乗せる人も、sports car に似合う人と似合わない人がいますよ。
私の昨年96歳で亡くなった母は、私の sports car に乗るのが好きで、しかも top down が気持ちがいいと、喜ぶのでした。90歳を超えた女性を sports car の passenger's seat に乗せて走っているのを想像してください。
MR/S を買ったのは、大学を定年で辞めた後でしたので、それほど走行距離も伸びず、しかも、TOYOTA 車は、全然故障しません。2011年7月1日の今日現在、110197 km でした。先日も高速道路で、120 km/h をらくらく出しましたし、140 km/h も平気です。
再来年の車検で 13年目になります。私も高貴?高齢者になりました。次は、どうするか、悩んでいるところです。Sports car ではないですが、Porsche に一度乗ってみたい気がしますが、pensioner には、高値の花ですね。
そういえば Ford Mustang には、4,5年前 LA に10日ほど滞在した時に日本から予約して California Freeway を乗り回しました。Porsche も、ドイツへでも行った時に rent car で乗るかな。
まあ、私の sports car driving life も後何年か分かりませんが、週に2回は batting center へ通って、100km/h の速球を打って、ynamic vision (sportsman vision という言い方もあります)を衰えさせない努力をして、せめて90歳までは、sports car に乗り続けたいと思っています。何しろ私の母も、90歳で sports car に乗りましたからね。