2010年10月5日火曜日

大学英語教育の justice

Harvard University の Prof. Sandel の東大での講義の全容が、NHK 教育テレヴィで二回放送された。
講義は同時通訳、質疑も同時通訳。質疑に参加した学生の8割が日本語で発言。イヤホーンを耳に当てていた。
あの放送を東大総長や執行部は見ていただろうか。あるいは現場に立ち会っていただろうか。
と、したら、どう思っただろうか。私が東大総長だったら、恥ずかしくて穴に入りたい心境になるだろう。天下の東大生が英語の講義が同時通訳でしか理解できなく、日本語でしか発言できないなんて。直ちに英語教育担当の教員を全員招集して、あのざまは何だ。日頃どういう英語の授業をしているかと、詰問するだろう。そして、直ちに改善を命令し、時間の許す限り英語のクラスを視察に行くだろう。そして、学習効果の上がらない教員は fire するだろう。国民の税金を使っているのだから、そんなこと当たり前だろう。
それが、Prof. Sandel のいう justice だ。
確か行政刷新大臣の蓮舫氏は、自分のお子さんをアメリカの大学に送っていたはず。ということは、日本の学校教育を信用してないわけだ。この際、日本の大学の英語教育の事業仕分けをして、効果のない英語教育をしている大学の英語教育関係の予算はカットして、民間なり、外国の教育機関に委託すべきだろう。それが、justice というものだ。

2010年5月31日月曜日

オペラは快楽

5月31日の日経夕刊。最後のページの「夕刊文化」のコラム「こころの玉手箱」の第一回に大原美術館理事長の大原憲一郎氏が寄稿してみえる。題して「芸術は快楽、名人芸に熱中」。
氏の少年時代、家にはいつも音楽が鳴り響いていたという。その音楽は、ドイツ系の大曲が多く、夕食時にもマーラーやブルックナーが定番だったそうだ。
氏は1940年生まれというから、少年時代は、1950年代。マーラーやブルックナーが日本でポピュラーになったのは、1960年代にはいってだから、父君の音楽観もたいしたもの。
その氏が、エール大学大学院へ留学して、NY のメトロポリタンオペラ劇場で、サザーランドの「ルチア」を初めて聴いて(観て)衝撃を受けたという。魂を抜かれる思いだった、ともいう。
その時、「音楽は快楽」と、実感されたそうだ。

私のオペラ体験は、1955年の大学一年生の時。県人寮で同室だった東京芸大油絵科の友人がNHKの第二次イタリアオペラ団の『アイダー』に、エキストラで奴隷として出演?し、俺が出ているから観てくれ、というのを、蕎麦屋の白黒テレビで見たのが最初。14インチの白黒テレビの貧弱な音と、蕎麦屋の環境では、その時は、「オペラは快楽」とは、感じなかった。しかし、オペラは面白いと思った。第三次イタリアオペラ来日時は、大学4年生。実演を見に行きたくても金がなかった。やはり、白黒テレビ観劇。「オペラは快楽」には、程遠かった。
1961年、大学院時代だったが、その前二年間教員生活をしていたので、多少蓄えがあった。念願かなって、初めてオペラをナマでみた。
今や伝説になっている、デル・モナコとテバルディが共演した『アンドレア・シェニエ』と、アルド・プロッティの『リゴレット』。その時、初めて、「オペラは快楽」と実感した。人からオペラの何が面白い、と問われる時、生理的快感だ、といつも答えていた。
脳天を突き抜けるような高音だけでなく、心のひだに染み入るようなピアニッシモ。ぞくぞくしますね。

だから、今回の大原氏の記事を読んで、全く共感。ブログに書きたくなった。

ついでに、オペラについてもっと書きたくなった。一旦休憩して、また書こう。

2010年5月3日月曜日

個独のブログ

今日の「中日新聞」第一面下の本の広告欄に、『個独のブログ』という本があった。


去年3月、21歳で急逝した彼のブログには、「夢見て耕せ」とあった。夢は国際弁護士だった

という。

独力で開発した英語学習法、オバマ演説読解は圧巻。
だそうだ。

中日新聞3月17日夕刊で大々的に紹介され、この名大生の軌跡に注目集中!
という

彼の生前には、彼のブログの読者は少なかったのかな。だけど、「孤独」ではなく、「個」として「独」立した生き方・意見をブログに書いていたのだろうか。

私のブログも、後の二つも含めて、「個独のブログ」といえるだろう。
いつの日か、生きてるうちか、死後かに、日を見ることもあることを、「夢見て耕して」いるわけだ。

念のため、他の二つのブログのURL とタイトルは次の通りです。
http://76871734.at.webry.info/ 英語学習もろもろ
http://sfujikake.blogspot.com/ テレビ見るバカ、見ないバカ

2010年4月28日水曜日

教育審査会が出来たらいいな

検察審査会が、小沢氏を起訴相当としたことが波紋を呼んでいる。検察と民意の乖離を解説するコメントが多い。専門家集団の検察より、素人の検察審査会の方が、民意を反映しているというわけだ。
この「起訴相当」と議決で、胸がスーとしたと感じている人が多い様子が、各種の報道からうかがえる。
そこで、いま私は、別のブログで、日本の英語教育について、いろいろ書いているが、それは、英語教育の専門家でなく、日本の学校英語教育で、英語を学んできた人や、現在・将来、子や孫が、日本の学校で英語を学ばざるを得ない人を対象にして書いている。その目的は、学校教育関係者以外の人にはうかがい知れない、教育界や英語教育界の裏話、特に英語教育について、いかに無責任な教師がいるか、あるいは、熱心であっても的外れなことをしているか、など、そういうことを指摘して、なるほどそういうことだったか、それでは、学校で何年英語を勉強しても英語が出来るようにならなかったはずだ。こんなことを、子や孫に、また繰り返されてはたまらん、と思っていただきたいと思っている。
その上で、そちらのブログで提案しているが、英語教育onbudsman という、各学区ごとか、各市町村単位で、学校の英語教育を監視する組織ができたら、と、多分実現できないような夢を描いているが、ここに来て、検察審査会のような機関というか組織と言うかそういうものが、民間人によって構成されて専門家と違った判断をくだし、それが今まで専門家に任されていた行政に反映されるという事態が生まれてくると、私の構想も、まんざら夢ではないな、と思い出した。
そのためには、一人でも多くの人が、日本の学校英語教育の実態に通暁していただいて、適切は批判や観察が出来るようになることが大事であって、更にそのためには、一人でも多くの人が私のブログを読んでいただくことかあ、と勝手に思っています。
そのブログのURLは、http://76871734.at.webry.info/
です。

2010年4月27日火曜日

Batting Center の効用

週に一回、できれば二回、batting center に通っている。たいていは、昼食後、1時半ごろに行く。なぜなら、2時までは、モーニング・サーヴィスといって、通常一ゲーム200円のが、五ゲーム分のチケットを500円で購入すると、一ゲーム100円で打てる。五ゲーム分のうち、4ゲームは、その日のその時点で、使わなければならないが、一枚は、取って置いて、いつでも好きなときに使うことができる。たいていは、5ゲーム全部使ってしまう。一ゲームで21球打てる。このbatting centerには出来た時から、もう30年以上通っている。最初の頃は、一ゲーム26球だったが、だんだん減ってきた。それでも5ゲーム打つと、合計105球になる。これを、最初は、二ゲーム続けて、右打席で、時速100キロのボールを打つ。一休みして、次は、左打席で、時速90キロの表示だけど、結構100キロ近いボールをやはり二ゲーム続けて打つ。また、一休みして、次は、別の右打席のゲージで、今度は、90キロ表示だが、それより速く見えるボールを打つ。このときは、意識して、右方向へ打つ。左足を、アウトステップして、バットを遅れ気味に出すのがコツ。この打ち方は、元巨人で、昨年日本ハムに移籍した二岡の左打ちを真似したもの。Batting Center には、自分のバットを持って行く。それは、まだ二岡が巨人にいたときに買ったもので、ミズノの二岡モデル。日本ハムに移ったから、もう二岡モデルはなくなったろう。Batting Center には、金属バットがおいてあるから、自分のバットを持って行く必要はないが、金属バットの打球音が嫌いだから、木のバットを持って行く。そのバットには、batting center では、使用しないでください、と注意書きのラベルが貼ってある。なぜかというと、芯を外すと、木のバットは、折れやすいからである。折れたバットが飛んで行っては、危険だから、batting center では使うなというのだろう。しかし、私はミートがうまいので、滅多にバットを折ることはない。今のバットも、もう数年使っている。
batting center に行く目的の一つは、腰痛防止。腰の両側を運動させるために、右と左の両方で打つわけです。ついでながら、腰は英語では、lower back と言いますが、
腰痛は、背中自体の痛みは、backache ですので、それを応用して lower backache とも言いますが、lower back pain の方が普通です。google search では、
"lower backache" の約 21,000
"lower back pain" の約 1,570,000
もう一つの目的は、動体視力を衰えさせないためです。普通の視力は、動かない物をどれだけ見えるかを測定します。これを静体視力ということもあります。自動車の運転には、動体視力が大切です。スポーツ選手にも、特に球技の選手には大切です。ですから、動体視力のことを英語では、sports vision と言ったりします。言ったりします、というのは、まだ、それほど一般化していない感じだからです。
baseball batting は、腰を使うだけでなく、案外気づかれていませんが、膝を上手に使うことが大事です。膝を痛めた野球選手がbatting がだめになることが、それを証明しています。私は、Ichiro は、batter's box に入る前に、両膝を屈伸する運動を繰り返していますね。私もあれを真似しています。膝が衰えるの歩行が困難になります。batting exercise は、歩きませんが、膝を使うことで、脚力の訓練になっています。
高齢者のスポーツとしては、gate ball や ground golf という動かないball を打つgame が人気がありますが、私は、やはり動くballを打った方が、healthy longevity には効果があると思うのですが。まあ、これは人様様々ですから、効果があるかないかは、私の経験で実証するしかないでしょう。

2010年4月19日月曜日

ついて回りの人

2010年4月19日の「日経」の「教育」ページに、財団法人「日本青少年研究所」が、2009年に日米韓中の4カ国の高校生計約6000人を対象に行った調査が、「数字は語る」というコラムに紹介してあった。その見出しは「日本の高校生は受け身」。
その調査によると、

授業の進め方について「教科書の内容をきちんと教え、覚えさせる授業を」肯定的に評価する生徒の割合は、日本が71.4%と最多。最も低かった米国は(31.2%)の2倍以上だった。
他方、「(生徒に)によく発言させる授業」を評価する割合は日本の33.4%に対し、最も高い中国が91.6%。

こういう調査で思い出すのは、日本の大学の授業風景。学生は教室の後ろの方に固まっている。席は後ろから埋まって行く。教員は、そういう学生に前に出て来いと言う人はすくなく、自分が黒板の前をはなれて学生の方へ近づいて、教室の真ん中あたりで喋っている人が結構多い。
これが、アメリカの大学だと、多分中国や韓国でもそうだと思うが、前の方の席から埋まって行く。

このような教育で受け身に育った人が大人になると、twitter などでも、自分でtwitter せず、followerになる「ついて周りの人」になるのではないか、と考えた。ブログを開いても、参照数は、結構伸びているから、読んでいる人はいるだな、と分かるが、コメントを寄せたりなど、反応を示す人は大変少ない。そういう「ついて周りの人」は、既に高校生時代に出来上がっているのかな。